『女の民俗誌』を読む2007/10/11 00:23

 今、教養教育で「民俗学」の授業をやっている。テーマはシャーマニズム。といっても柳田国男の『妹の力』を論じていくものなのだが、その前段として、世界のシャーマニズムを映像で見せている。

 私のもとにはけっこうシャーマニズムの映像がある。自分で撮ったのもあるし、ビジュアルフォークロアからK氏がいただいたものを私がダビングしたというのもある。むろん、テレビで放映されたものもある。つまり、神懸かりの場面の映像をたくさん持っていて、そのつもりなら、これでもか、というようにいくらでも見せられるというわけだ。

 こういう映像を見せると必ずこれは演技だとか、絶対に信じないとか、オウムを思い出すので嫌だとか、ネガティブな反応が返ってくる。シャーマニズムは文化であって、その文化を学問として対象化するのだから、と説明してもなかなかわかってくれない。

 それはそれで仕方がないのだろう。ある意味では、神が現れるということをリアルに感じ取れるような映像を見せられたら、やはり驚くだろうから。まあそのうちこういう文化を人間は何故生み出さざるを得なかったのか、というように考えてくれればよい。

 宮本常一『女の民俗誌』(岩波現代文庫)を読了。これは隙間読書ではない。宮本常一はとても文章が上手いと感心。生活というものはこういう文体で描くものなのだ、ということを教えてくれる。柳田国男もそうだが、民俗学者は文章が上手い。これは再現する力の技ではないかと思う。

 メモを取りながら聞き書きをして、それを資料に、ある生活の記録を再現するのが民俗学者の仕事のようなものだ。再現の方法とは語ることである。つまり、物語るように対象を構成する。その再現の力を鍛えなければ、民俗学者にはなれない。だからこそ、語る力やそれを物語る力が鍛えられるというわけだ。

 それにしても、この本は私の母親のことを思い出させる。この本にも宮本常一の母親の話が出てくる。戦後、私の母親は、ほとんど女手一つで私たち兄弟を育て上げた。その苦労やたくましさはここで描かれている女達の物語そのものである。

 戦後の闇市での女達の行商の話が出てくる。私がまだ赤ん坊だった頃、母親は、お米をベストの中に詰め込み、それを着た上に私を負ぶって、宇都宮から東京までお米を売りに行ったという話をしたことがある。むろん、闇米である。私はほとんど覚えていない。

 ところで、富岡製糸工場の女工たちは、貧乏な家の娘だとばかり思っていたが、最初の女工はほとんど武士の娘であったということだ。山口県から30人の女工が来ている。大阪まで軍艦に乗ってきたということだ。その中には井上馨の娘もいたということである。つまり、製糸工場は新しい世の中の象徴だったから大家のお嬢様たちがまずは女工になったらしい。その女工たちは、各地に散らばり製糸技術を伝えていったということだ。こういうことでも知ると面白い。

        藁砧取り置きしまま老いてゆく