友を見舞う2007/08/01 02:09

 今日は久しぶりに家で仕事。奥さんは山小屋へ行く予定だったが、隣の車と接触してしまったために、まずは隣の車を修理しなくてはいけないことになり、その対応で今日の午前中は潰れ、結局明日行くことに。隣の車の修理代は8万円になる。ほんのちょっとバンパーをこすっただけなのに。うちの車はドアがへこんでいるので、そんなものじゃないはずだ。とりあえずうちの車は修理しないで、傷はなるべく見ないようにしながら乗り続けることにした。

 午後は、末期癌のI君の家に見舞いに行く。折口信夫の入門書が読みたいと連絡してきた。いろいろ捜したが、岡野弘彦の『折口信夫伝』があったのでそれを持っていった。抗ガン剤の副作用か貧血気味で調子が悪いという。果物が食べたいというので、夕張メロンと桃を持参。うちの奥さんに切ってもらい一緒に食べた。いやあうまいと感激していた。
彼は今一人で生活している。一週間おきに抗ガン剤投与のために入院するが、それが終わると自宅療養である。今は以前と違って、よほどの病状でないと癌患者といえど入院はさせない。国の方針らしい。彼のような独り身には辛い話である。食事をつくるのもままならぬのであるから。

 まあそれでも起きて音楽を聴いていられるくらいには元気なので安心した。彼は、山小屋に行きたいという話をしているのだが、体調と相談しながらだ。俺もそろそろ後退局面かなという弱音を吐くようになったのが気になる。
 
 一日やることがないのでどういうことをやったらいいのか医者に聞いたら医者は写経をすすめたという。いくらなんでもそれは、ということで、奥さんと色々考えて、水彩画にしろということになった。しかし、末期癌患者に写経をすすめなんてなんて医者だ。もっと明るいことをすすめるべきだろう。

 友人のKは全共闘時代のことなどをテープに吹き込んで証言として遺しておけ、と言ったという。そんなことする気はないと彼は言う。たまたまハイビジョンで、戸井十月が全共闘時代の証言番組をやっていたが、それもわかる気はする。私も何か証言めいたことを遺さなきゃいけないのだろうが、あんまり遺したくもない。

 もう8月である。小田実は末期癌を宣告されて2年生きた。彼もそのくらいは生きていたいと言う。何とか生きられるよ、と答えたが、来年の8月にもまた見舞いということになればいいが。
 
 家に戻って仕事。夏休みを取れる人がうらやましい。

       沙羅の樹や癌とつきおう友一人

朱蒙にはまる。2007/08/02 01:47

 今日は出校。授業は終わったが雑務は多い。夕方、卒業生3人と食事に行く。先日E君と食事をしてビールを飲み、そのあと貧血気味になったことをブログに書いたら、ブログを読んだ何人かからいろいろと心配された。あんまり、体調のことはブログに書くものではないと反省。

 実は、学校の前のロイヤルホストで食事をしたのだが、中ジョッキ三杯で一杯サービスというキャンペーンをやっていて、それなら、といつも一杯しか飲まないのに、私は二杯も飲んでしまった。それがよくなかった。結果的に三杯分で四杯飲めたわけだが、ちょっと調子に乗りすぎたというわけだ。

 今度は卒業生と一緒だしそういうみっともないこともできないので、一杯で止めてあとはウーロン茶である。これがいつもの飲み方である。今度はロイホ(ロイヤルホストをみんなロイホと呼ぶ)ではなく、岩波ホールの地下の和食の店に行く。隣は宴会でうるさかったが、まあまあ美味しかった。

 卒業生の一人はトラベルキャスターという職業で、本をだしたり、今度はある短大で講師もやるという。観光に関する講義をするのだという。もう一人は学部の4年生で、編入し、今卒業論文を書いている。二人とも、もともと社会人で、二部の学生であった。みんな二部の学生である。二部は今年でなくなってしまうが、学生達の結束は固く、ときどきこうやって顔を出してくれるのでありがたい。

 遅く帰宅。奥さんは山小屋に行っていない。録画していた韓国ドラマ「朱蒙」を見る。BSフジでやっている韓国の時代劇ドラマだが、これにけっこうはまっている。韓国ではチャングムを上回る視聴率だったらしい。確かによく出来ている。高句麗を建国した王の物語である。三人兄弟の末の王子が、血のつながっていない兄達にいじめられながらも逞しく成長していく話で、兄達の母親が、チャングムをいじめたあのチェサングンなのである。実にはまり役である。おしんもチャングムもそうだが、いじめられながら成長していく物語はまさにアジアの物語だな、という気がする。

    ビール飲みアジアのことなど語らいぬ

成績をつける2007/08/03 01:42

 今日は一日成績をつける。毎年ほんとうに悩む時期である。ただ管理職のお蔭で担当の授業が少ないので悩みは前ほどではないが。私の授業は今年はどういうわけか学生が少ない。その点、成績をつけるのは楽なのだが、寂しいと言えば寂しい。T君と同じだが、予備校で大人数で講義をしていたせいか、どうも少人数だと、ハイテンションになれない。だからアンケートもよくない。

 今はウェブネット上で成績登録が出来る。一定の期間内ならば訂正も可能だ。うちの大学はこういうことに最近力を入れている。悪くはないと思うが、問題は教員や学生がどのようにこういうシステムを生かすかだろう。インターネットの授業も流行りだし、情報ツールを駆使した新しい教育方法を、全国の大学で開発の競争をやっていて、そういう試みの研究発表が毎月のようにあちこちである。

 実は、私も年に一、二度参加しているのだが、最近疲れてきた。ある研究大会で自己評価疲れが最近言われるようになってきたという発言があったが、確かに、疲れてきた。アメリカ型の教育競争原理を導入するこういう試みは、小泉首相時代の、構造改革諮問会議の方針に沿ったもので、大学の競争を促して市場原理に敗れた大学や教員(負け組)を排除し、競争力のある者(勝ち組)だけが残るという路線である。

 その路線の上に、実は、情報ツールを駆使しした教育の開発競争や、アンケートなどの自己評価があるわけだ。今度の選挙でそういう自由競争の行き過ぎによる格差社会化への懸念が示されたように、みんなそろそろ疲れ始めてきたのである。教員もまた同じである。
 
 こういう競争原理だけが価値となるような事態がもたらすマイナスは、いろんな意味での遊びや余裕がなくなることである。授業の面白さは、教員のイレギュラーな話や雑談にもある。そういうところを削って、杓子定規な一定のマニュアル従った授業がはびこることが、良いことだとは思えない。

 大学での勉強というのは、知識を、抽象的なものの見方に耐えられるように自分なりに整理していくことである。言わば他者の知識を自分なりの抽象化によって自分の知識に換えていくことであって、その抽象化の力こそが、自立できるかどうかのポイントだ。抽象化というのは、自分を自分とは違う世界の中に投げ込むことであって、それには、余裕が必要だ。そういう余裕は、生活に追われる社会の中ではなかなか得られない。やはり大学で得るものだ。

 ところが、最近の大学の改革は、肝心のこういう一人の人間が自立するのに必要な、遊びや余裕を排除する流れにある。特に、教育には費用がかかり、その費用対効果が求められるようなったことがその流れを加速している。授業料はかなりの高額である。その費用に見合う教育という目標を設定されたとき、自立や抽象的な思考の力といった悠長なことは言ってられないのである。

 大学に身を置く者としていつもそこはジレンマである。子どもに学費を払う親たちも余裕をなくてしている。学生もまた余裕をなくしている。こういう中で、余裕が大事だと言うことは、改革の流れにさからう守旧派宣言と同じで、経営効率と教員の管理をすすめたい経営側の覚えもめでたくはない。

 私は改革をすすすめる立場にいるので守旧派にはなれないが、そろそろこういう改革の流れに棹さしたいとは思っている。むろん、生き残りをかけた改革はやらなければならない。大学が潰れたら、自立とか余裕とか全部吹っ飛んでしまうからだ。が、教育の場というのは、人と人との関係をとても豊に出来るところである。経済より教育という理想の側で働くことを共通了解にしているからこそ、教育の場で働くことに憧れる若者が多いのである。そういう良さを無くさないで生き残りをかける、という困難さをわれわれは今抱えているというわけだ。その意味では、競争から脱落しないが、競争とは距離を取るという微妙な舵取りが必要だと言うことになる。

     呆けたりとはいかぬぞや夏休み

DVDを買う2007/08/05 01:04

 さすがに暑くなってきた。こういう日に学校に行くのは辛い。今日はオープンキャンパスで一日営業である。見学に来た高校生の相談に乗る。学校全体での来校者は去年の1.4倍だそうだ。とりあえず、まだ勢いはあるようだ。だが、短大の方はそれほどではない。先日の朝日新聞に全国の短大の60%が定員割れという記事が出ていた。まだうちは定員以上の学生がいるが、いつまでもつかである。

 それても今日は忙しかった。今日の具合だと私の学科はそんなに落ち込んでないのかな、という気になるが、実際は蓋を開けてみないとわからない。短大は、推薦入試で7割ほどをとる。推薦入試に来てくれるかどうかはこのようなオープンキャンパスでの相談者の人数によってだいたいの推測はつく。

 そんなに悪くはないだろうというのが今年の予測だ。今日相談に来た高校生が、日本語・日本文学コースのカリキュラムを見て、この学校の四大の学部のカリキュラムより良いのでこっちにはいることにした、と言ってくれた。カリキュラムを作った私としては嬉しい言葉である。最近の高校生は、何となくといった程度では志望校を選ばない。けっこう細かいところを見ているし、自分の将来をじっくり見据えて進学先を選ぶ。そういう中で、われわれの学科は今のところ何とか健闘しているが、短大より四大へという流れにどこまで抗せるか、である。

 帰りにDVDを買った。だいたいはレンタルで見るが、買っても良いなと思うのは買う。ドイツ映画で『善き人のためのソナタ』を買う。5千円した。DVDは今安売りですぐ価格が下落するが、こういうヨーロッパ系の作品は安くならないので仕方がないというところだ。ついでに一本500円の名画『チップス先生さようなら』と『おおいなる幻影』も買う。三本で6千円だ。

 『チップス先生さようなら』はイギリスの作家ジェームス・ヒルトンの小説が原作だが、このジェームス・ヒルトンの書いた「失われた地平線」の中に、チベットあたりの理想郷として「シャングリラ」が出てくる。空想の地だが、実は中国では、この地こそがシャングリラだと、あちこちで元祖シャングリラと名付けるのが流行っている。観光客を呼ぶためだ。雲南省のチベットに近い中甸という町は正式にシャングリラと改名してしまった。これには驚いた。

 だから『チップス先生さようなら』を買ったというわけではないが、こういう教師ものは基本的に嫌いではない。この映画は昔見て感動した。こういう先生になるのがわたしの理想でもあるが、まず無理である。

     蜩のしずまりて聞く囃子かな

何とか夏休み2007/08/06 00:50

 オープンキャンパスの二日目。来訪者は昨日ほどではないが、まあまあというところか。今日は模擬授業も行った。毎年テーマは同じで「千と千尋の神隠しの文化論」である。もう4・5年やっている。そろそろ「千と千尋」も色あせたかな、と思うが、けっこう受けがいいし、受験生も集まるのでつい毎年やってしまう。

 今日の感想でこの映画を見たのは小学6年生の時と書いてあって、そうかもうそんなに昔の映画になったのだと、時の経つ速さを実感した。教室には40人近くはいっただろうか。この映画に、神話や昔話の構造、民俗学がどのように取り入れられているかを解説していくもので、授業の初めにどのくらいこの映画を観ているか聞くが、ほぼ9割の人は観ている。だから、授業が成り立つというわけだ。

 パワーポイントとビデオ映像を駆使した、最新の授業スタイルにして、飽きないようにしている。実は映像をパワーポイントに取り込みたいのだが、DVDやビデオはプロテクトがかかっていて、それが出来ない。テレビで放映されたものを使えばいいのだが、あいにく録画していない。このプロテクトというのは、確かに著作権の問題もあろうが、教材という観点からだとやっかいである。

 朝の通勤電車の中で、確か東上線の和光市をすぎたころだろうか、和光市駅から乗ってきた三人の若者が、座席に座っている私の前に立っていろいろ話をしている。頭は坊主であったり角刈りのような感じで、ガテン系の若者かなとおもったが、そのうち政治のことをしゃべり出した。

 一番右側の背の低い男は後輩らしく、真ん中の一番背の高い男が中心で話題をリードしている。そこでこの間の選挙の話になったが、一番右の若者が「えーっ、自民党は負けたんすかぁ」と驚いた声を発した。おいおいと思わず笑いそうになったが、真ん中の若者は、憲法改正へと話がすすむ。選挙で負けて、憲法改正がだめんなると俺たちの立場もビミョーなんだよなあ、と言う。君たちはいったい誰?とつい聞き耳を立ててしまった。

 どうやら自衛隊の若者らしい。そうか朝霞の基地がある。真ん中の若者は今度は、公務員法の改正に話が飛び、徹底した官僚批判にはいる。あいつらは腐っている、と何度も言う。そんな調子で自衛隊員の政治や官僚批判を聞きながら電車は池袋についた。今時こういう若者がまだいたんだと感心はした。ただ自衛隊員というところがちょっと、と言う気はしたが、考えてみれば、政治の流れによって一番影響を受けるのは彼らである。政治に関心を持つのは当然と言えば当然だ。もっとも選挙の結果も知らない自衛隊員もいたが。

 オープンキャンパスが終わって、山小屋に向かう。ようやく夏休み、というよりは、夏の仕事だ。しばらくは、論のアイデアを見つけるための格闘が続く。
 
      中上のモノガタリに咲く鳳仙花

善き人のためのソナタ2007/08/08 11:45

 何をしても眠い。さすがに疲れが出てきているようだ。「折口信夫と学問形成」(高橋直治)を読んでいるが眠くて先へすすまない。眠気を覚ます本ではないということもあるが。

 6日は、連歌の研究をしている奥さんの友達が来ていて、師匠の先生が住んでいる北軽井沢のお宅に伺う。その師匠の家に伺うのは私は三度目になる。奥さんの友達は仕事を辞めて大学に社会人編入で入り、そのまま大学院の博士課程まですすんだ人だ。年齢は私より一つ上。奥さんも一つ上だが。

 帰り、軽井沢の陶器屋に寄る。陶器のアウトレットの店で、かなり良いものを安く売る。奥さんが物色している間、外でチビと一緒にいたが、隣の店先に向かってチビが突然吠えだした。何事かと思ったら、犬か猫のような動物の置物が店先にあって、それに向かって吠えたのだ。めったに吠えないのだが、時々変な物に吠える。その基準がいまだよく分からない。軽井沢の人混みの中をチビを連れて歩くと、あっちこっちから、可愛いと声がかかる。さすがに、黒の豆柴だ。飼い主がいうのも何だが、可愛いのは当たり前。チビと同じ大きさの柴犬をまだ見たことがない。よほど珍しい犬と見える。

 7日は、E君が家族と一緒に来訪。夕飯を一緒に食べる。彼の実家は岡谷なので帰省していたということだ。小学一年生の長女とまだ一歳になったばかりの次女がいる。E君も専任にまだなれない身としては大変だ。お父さんとして頑張らなくては。

 ドイツ映画「善き人のためのソナタ」を観る。なかなか良かった。長い映画だったし、暗い映画だったが、久しぶりに感動した。東西冷戦時代の東ドイツで、危険人物を監視する組織の男が主人公だが、盗聴をしている女優や作家にシンパシーを抱き、ついには、作家を助けてしまう。そのことが怪しまれ、彼は左遷されて地下の一室で手紙を開封する仕事を何年も続けることになるが、4年後にベルリンの壁が崩壊する。自分が盗聴されていたことを知った作家は、何故逮捕されなかったか疑問を抱き、その男の存在を知る、というストーリーである。

 国家という抑圧装置を一新に背負った役人が、「善き人のためのソナタ」というピアノ曲を盗聴器を通して聞いたことがきっかけになって、自由の価値を知る、という寓話的な筋立てになっている。が、それは寓意でしかなく、本当は情のようなものがそこに兆したと言う方に近い。この映画の面白さは、何故、組織の命令に忠実に従う有能な男が、その任務を放棄して危険分子を助けたのかという疑問に答えていないことにある。この曲を聴いたら誰でも善人になるというピアノ曲を聴いたから、というのは、ストーリーを面白くする一つの工夫に過ぎないだろう。この映画のディティールは、そんな単純なものではない。同じピアノ曲を聴いた女優は作家を裏切るのである。

 人間というのははからずも悪人になることもあるが善人になってしまうこともある。女優が夫を裏切るのもそうだし、保安局の男が国家を裏切ることもそうなのだ。そういう偶然性の側に一筋の光明はあるのであって、善なる人間の本質こそがここにあるといった、理想主義の側にあるのではないということだろう。ただ、善の側は不遇であってもそれなりに快適であることをこの男は伝えている。同じように裏切った女優は不幸だった。これもまたこの映画の明るさであろうが、この明るさはベルリンの壁崩壊がもたらしたものだ。

 主義主張を通した演出家は自殺したが、ベルリンの壁崩壊を待てなかった。その意味では、ベルリンの壁崩壊という歴史を誰もが(われわれも)知らないという前提に立てば、善人の未来に希望があるとは自信を持って言えなくなる。それを保証するのはかたくなな信念か宗教ということになろうか。

 その意味では人は誰でもベルリンの壁崩壊を知り得るような超越的な視点を得るために努力するべきなのか。それとも、そんなこととかかわりなく、ただその場でのそれぞれの生きる価値観に従って、善人であるべきことを優先するべきなのか。生活という場だけに閉じられれば国家の監視網の中で不快を感じずに善人でいられる。が、それを不快に感じたときに、どうふるまうのか、は普遍的につきまとう問題だろう。

 この問題の難しさは、不快と感じない生活者を悪と断じてしまうことは出来ないと言うことである。知識人とは、それを不快に感じる人種のことであるが、誰もが生活者でもある。そこに、葛藤というものが生じる理由がある。

 この葛藤は、人が生きるために組織(国家から会社まで)に属している以上どこでも必ず起きる。生きるために主義を裏切ることはいくらでもあり得る。そういうところで善人や悪人を判断しても空しいだけである。

 が、生きることを優先することは決して虚無的になることではない。生活の中にも理想はある。ただそれは簡単には見えないということだ。むしろ、生活の視点をくぐり抜けた理想は、それだけ鍛えられているということも出来る。

 私がこの映画に感動したところは、この国家の監視官が、最後に上官に作家の罪を見逃したのではないかと疑われ、20年間手紙の開封をしろと左遷されそれを引き受けたことである。生活は貧しくなったろうが生活そのものは維持できる。それで充分だということだ。女優は、女優という職業を奪われることに脅えた。それは女優が生活ではなく、アイデンティティだったからだ。生活が維持できさえすればそれで充分だという居直りがあれば、だいたいのことは耐えられる。アイデンティティにこだわって生きれば人間とは弱いものである。このような寓意を「善き人のためのソナタ」から読み取ることもできる。

     蝉の子や憂き世の中を飛び出しぬ

のんびりというわけにも…2007/08/12 01:03

 いやはや暑い。といってもここは下界とは違って、標高1400メートルの山の中だから、下界と比べると8度近く気温は低いはずだが、それでもやはり暑いと感じる。ただ、日陰は涼しいし夜になると長袖でないと寒くなる。夕方ベランダで藪蚊にに刺された。初めてである。ここは標高が高いので蚊はいなかったのだが、温暖化の影響なのかも知れない。

 チビは黒い毛が密生しているので暑さが苦手である。だから、こっちでの散歩はとても好きである。川越ではとてもじゃない散歩どころではない。それでも、しばらく歩くとすぐに草むらにごろっと横になって動こうとしなくなる。暑いとこれを何度もやる。その度に身体を起こして散歩を続けさせる。

 ここ三日間私は山小屋でチビと一緒にすごしている。奥さんは川越に用事で帰っている。のんびりというわけにはいかない。学会のセミナーでの発表で何をどう話すかまだまとまっていないので、本を読んだり考えごとをしたりで、一日があっという間に過ぎていく。どうも今度のセミナーではひんしゅくを買いそうだ。この間の座談会もだめだったが、そろそろ限界かなと思ったりもする。能力の限界もあるが、仕事量の限界ということもある。今年分の仕事はすでに充分してしまったので、これ以上はついていけないというところだ。

 セミナーを引き受けていなければ、今頃白樺湖や女神湖の花火大会でも見に行けたのだが、そんな余裕はとてもじゃないがない。引き受けなければよかった後悔している。セミナーが終わったら、中国に調査に行くがこっちの方も気がかりだ。

 何とか村に入らずに近くの招待所に宿を取り、そこに村の人に来てもらって取材をすることで話がついたそうだ。取材の目的は、葬式の時に歌う踏葬歌なのだが、たぶん村ではこの歌は歌ってくれないだろうと、近くの村に入ったことのあるE君は言う。つまり、縁起が悪い歌は葬儀でないときには村では歌わないということで、そういう例は私なども体験している。その意味で、むしろ村に入らない方が正解なのだが、ただ、せっかく行って村に入らないというのもつまらないので、一日だけ村に行って取材をするということで話はついた。一番いいのは葬式の場面にぶつかることだが、そういうことはめったにないし望むことでもない。

 久しぶりに言語学のことなどを頭の中で思い浮かべながら考え事をしていて、言語学の理論というのは、実に矛盾をかかえているものだと改めて実感した。言語は一つの体系であり、それはわれわれの頭の中にある。が、それは見えないし取り出せるものでもない。あると想定することで、われわれが言葉を書いたり考え事をしたり話すことができることの説明がつくのだ。言い換えれば、われわれが話したり書いたりしなければ存在しないものであり、また、話したり書いたりするという極めて個別的な行為(生きること)でしかないということでもある。

 それって神さまと同じじゃん!と思う。つまり、超越的なものとして想定せざるをえないものであり、その現れは、個別の生にしかないということである。神様を客観的に論じることは出来ない。とすれば言語だって同じである。ところが、言語学という学問があって客観的に論じることを疑っていない。その意味では、言語学ってある意味で神学ではないかと思うのだ。今度のセミナーで触れなければならない折口信夫の「言語情調論」なんでほとんど神学である。そう考えると、憂鬱である。

         夏草やその勢いへ踏み入りぬ

不安のない言語論2007/08/13 10:26

 今日(12日)は奥さんを迎えに山小屋から川越往復である。川越に行くには帰省ラッシュと逆なのでとてもすいていたが、夜、山小屋に行くときにはやはりそれなりに車は多かった。

 ということで今日は勉強できず。一日運転しているとさすがに疲れる。ただ運転をしながらいろんなことを考えていた。最近運転しながら考え事をすることが多く、時々、危ないと思うときがある。隣で奥さんが、人がいるとか信号が変わったとか、ほんやりしないでとか色々とうるさいのは、たぶん私が運転中に考え事をしすぎるせいだ。

 折口信夫の「言語情調論」も時枝誠記の言語過程説も、言語主体を言語の体系よりも上位に置く。これは、心理学的言語学の系統の一つの特徴であるが、面白いのは、彼らの言語主体というのは、最初から意味づけられない何かを伝達しうる主体として想定されていることだ。

 言語過程説の面白さは、その言語がどんなに意味づけられない何かを抱えていても、その言語が言語主体にとっての言語作用でありさえすれば、つまり、言語主体の言語過程に収斂されれば、それは伝達し得るということである。折口の「言語情調論」はそこまでは徹底されてないが、話し手の情調は聞き手に再生されるという言い方をしているように、言語の情調は、主体とは別にあるものではなく、言語主体とともにあるものとしてとらえられている。

 運転しながら、こういう言語主体とは、折口の言うミコトモチと同じじゃないかとふと思い当たった。つまり、シャーマンみたいなものである。神ではなく神の言葉を伝える主体ということだ。こういう言語主体は、欧米的言語観とは違うだろう。

 ソシュールの言語(ラング)という概念が衝撃を与えたのは、それが差異の体系に過ぎないものであるからで、つまり唯一神のあらわれとしての言語という神話を壊したからだ。そこには、言語主体そのものもこの差異のなかにとらわれる。従って、このままでは虚無の体系でしかない。それを救うのが実存主義的な投企という概念である。

 言語の体系を、言語主体が生きた言語たらしめるのは、死という虚無を克服する「在る」というあり方への前向きな了解である。これが投企である。これは、神を失った人間の命がけの飛躍みたいなもので、この姿勢を失ったとき、人間は人間としてのアイデンティティを失う。それ故、意味づけられないものとは、この姿勢を否定しかねない不安(キェルケゴールの言う「死へ至る病」)そのものである。そういう不安を近代の人間は抱え込んだ。従って、近代の人間はこの不安を抱えながらどう克服するかに、生きる価値を置く。

 ところが、日本の近代の言語観特に折口や時枝は、最初から言語主体は意味づけられないものを許容するととらえる。そこには虚無は成立しない。むしろ、言語そのものが神を体現するとさえ言える。その場合の神とは万物を神とするアニミズムということになろうか。言語主体とは、この神の宿る言葉の媒介者ということになろうか。

 その意味で折口や時枝の言語観に欠けているもの、西欧的言語観から観てだが、それは不安である。安藤礼二が『神々の闘争』という折口論で、ミコトモチ論から「言語情調論」に入ったのはよく理解できる。ただし、かれはフッサールの影響を言う割には、こういう違いについては分かっていないようだ。

 こんなことを考えながら運転していたが、よく事故にあわなかったものだと思う。川越について、メールの整理などして、返事をだすものには返信ししていたら、突然、送信が出来なくなった。二つのメールが送信ボックスに入ったままどうしても送信出来ない。やむなく、ウェブメールで送信し、送信ボックスに入ったままのメールを削除しようとしたが、これがどうしても削除出来ない。悪いことに、アウトルックを立ち上げる度に、送信中のメッセージが流れ、送信出来ませんでしたとなり、そのうち、メールソフトそのものがダウンする。ところが、送信済みを見ると、送信出来ないはずのメールが何度も送信されているではないか。ダウンしたアウトルックを修復しようと何度か試みているうちに自動的に送信したらしい。だが、送信ボックスのメールが消えないので何度も同じのが相手に送られてしまうというわけだ。

 そのメールはワインを送っていただいたお礼のメールで、そのお礼が5通繰り返し送られてしまった。これじゃお礼ではなくて迷惑メールだろう。ウェブメールを使ってお詫びのメールを送ったが、また迷惑メールかと思われているかも知れない。

 それにしてもどうしていいやら、修復の仕方が分からないのでほうっておくことにした。だめなら、あきらめる。他にもメールソフトはないわけじゃない。とにかく、修復を断念して山小屋に戻った。当分はウエブメールで対応していくしかないだろう。夜7時に出て10時には山小屋に着いた。疲れた一日であった。

     夏の雲徒労を重ねて厚くなる

ドキュメンタリーを見る2007/08/16 23:40

 さすがにここのところ暑い。高地とは言え日向に出るとじりじりと暑い。木陰で風邪が吹けば過ごせるほどで、ここで、こんな暑さはさすがにあまり経験したことはない。ただ、夜は涼しいので助かる。

 今日は安曇野に行った。奥さんの姪が安曇野のガラス工芸館でアルバイトをしているので陣中見舞いといったところだ。彼女は多摩美の学生でガラス工芸を習っている。その工芸館は多摩美大が運営しているらしい。観光客向けにガラス吹きの体験もできるようになっている。なるほど大学はこういうことも出来るのだと、管理職らしく感心。

 ここのところテレビでは戦後62年の戦争を振りかえる特集番組をあちこちでやっていた。なかなか見応えがあってつい見てしまう。そんな余裕はないのだが。NHKでやっていた「ニュルンベルグ裁判」のドキュメンタリー、日本の戦争についての証言記録を基にしたドキュメンタリーなど、思わず見入ってしまった。

 特にナチの戦争犯罪を裁いた「ニュルンベルグ裁判」は面白かった。このドキュメンタリーで大事な役割を果たしているのが心理分析官である。被告達との対話を通してその心理を分析し、連合国側に裁判を有利に運ぶためにアドバイスをする。

 被告達はの発言は当然の如く、駆け引きであったり、あるいは揺れ動く心理に左右されたりする。裁判の大きな目的は、勝者が敗者を裁く裁判そのものへの批判をかわすために、ナチの戦争責任を人類への犯罪という普遍的な罪にどう持っていくかである。それに対して、ゲーリングは自ら偉大な愛国者として振る舞う。戦争は常軌を逸するものではないか、国のために戦争を行った者がどうして犯罪者なのかと反論する。

 連合国側は苦境に立たされるが、それを救ったのが経済大臣だったヴァルター・フンクである。ヴァルターはナチの当事者として自分たちの行為がいかに残忍で人類への犯罪であったかを証言する。この証言によってこの裁判の正当性が裏付けられることになり、死刑相当だったヴァルターは終身刑になり、1957年に釈放され、ナチの責任を認めた男として脚光を浴びる。

 彼は外国からドイツへ大量の労働者を強制連行した総責任者であった。が、彼は生き延びたのに、彼の部下で実際に強制連行を行った労働力利用長官リッツ・ザウケルは死刑になっている。 

 最初、被告の中で孤立するヴァルターは動揺するが、心理分析官は巧みにヴァルターと他の被告とを遠ざけ、彼の自尊心をたてながら証言にまで持っていくのである。再現ドラマ風のドキュメンタリーであったが、心理劇として非常に見応えがあった。

 「ニュルンベルク裁判」と「東京裁判」の違いは、おそらく、ヴァルター・フンクがいるかいないかの差であり、そして、心理分析官が活躍出来たか否かの差ではなかったかと思う。「東京裁判」で、日本の侵略戦争をより普遍的な視点から犯罪的であったと認めたものがA旧戦犯にいたかどうか、詳しく調べていないので分からないが、恐らくいなかったはずだ。「赤信号みんなで渡れば恐くない」で戦争を始めた様なものだから、裏切り覚悟で天皇や東条英機の戦争責任を弾劾するものが出るとは思えない。

 心理分析官が活躍出来るのは、被告である戦犯達の心が揺れ動くからだ。揺れ動くのは、アイデンティティに最後までとらわれるからであるが、そのアイデンティティは集団への帰属ではなく、個の問題だからである。「ニュルンベルク裁判」のドキュメンタリーが面白かったのは、個の心理の葛藤が再現されたからだ。

「東京裁判」の戦犯達にはこのような個の心理劇はなかったろう。たぶん、自分たちの戦争についてまずかったと反省はしていても、個のアイデンティティは押し殺して、国家あるいは共同体に対してどうしたらみっともなくないように振る舞えるか、という心理で共通していたのではないか。

 日本の特攻によって沈められた戦艦に乗っていたアメリカ兵が、戦後62年たって、日本の特攻隊に会いに来るという報道が幾つかの番組で放映された。そこで、日本の特攻隊であった老人は、別に望んだわけじゃない、ある日上官から死んでくれないかと言われ拒否できなかっただけだ、と語っていた。当時拒否できる雰囲気ではなかったと強調した。それを聞いた元アメリカ兵の老人は、特攻隊もわれわれと同じ人間だったと語った。それが印象に残っている。

      人の咎?神の咎?戦記念日

歌人と詩人の違い2007/08/18 23:12

 何とか学会の夏期セミナーの発表要旨がまとまる。充分なものではないが、何とかこれでやるしかないだろう。たぶん私に期待されているのは、抽象的な論理で、普通の研究者とはちょっと違う見方の発表だろうから、そういう期待には沿えるだろう。実証性には欠けるが話は面白いというのは得意である。

 時々荒唐無稽と言われるが、ただ、最近はそういうのはやめようと地道な研究もしている。中国へ行って少数民族の歌垣の調査をしているのは、抽象的な論理が必要なく、地道な調査資料の積み重ねだからである。こういうこともやっておかないと、研究者らしくないし、というところだ。別に研究者らしくなくてもいいのだけれど、一度くらい研究者らしいことをして、晩年を迎えたいという気持ちもある。もう晩年かも知れないが。

 和歌の言語主体という極めて抽象的な話をしようと思っている。何故こういうことに興味を抱いたかというと、短歌評論家として短歌批評をやっていて、歌人と詩人はどう違うのか悩んだことがあるからだ。同じと言えば同じかも知れないが、やはり違うのである。

 創作時の歌人の悩みと詩人の悩みはどうも違う様な気がする。私は歌人でもないしも詩人でもないから、そこいら辺の微妙なことはわからないが、違うらしいということだけはわかる。どう違うのか、一つ言えることは、詩人の方がたくさん悩むということである。

 萩原朔太郎や中原中也はたくさん悩んだ詩人だ。斎藤茂吉も悩んだかもしれないが、その悩みは彼らと質が違っていた。詩人は、近代以降の不安や孤独あるいは社会への違和感を直接、詩の言葉に表現しようとする。その時の詩人の、詩の言葉や表現方法を生み出す苦労は、詩人という主体がこの世に生きていることの苦悩の量やそのあり方とほぼシンクロする。それは、無意識の中からわき出る言葉を「詩」の言葉に表現するときに、主体が抱え込む不安や違和感という水路に一度それを通すからだ。

 歌人は、そんなにシンクロしない。それは、歌人の苦労は、無意識からわき出る言葉を見いだすとき、その言葉はある詩的な表出として出来あがっていて、歌人はそれを形式に整えて並べるだけだからだ。歌人の苦労とは、その出来あがってしまっている言葉を扱う熟練とも言える技術の獲得であって、ある意味では、主体の内面はそれほど関与しない。それは、シャーマンが神の言葉を第三者に伝達するための技術と似ているかも知れない。

 むろん、短歌もまた短い詩であるから、主体は関与する。が、その関与の仕方はやはり短歌という形式やその形式のなかでの言語主体の置かれた条件に左右される。

 こういう違いを考えていくと、短詩形文学の面白さや危うさがより鮮明に見えてくるだろう。そういうことを考えることが楽しいというわけだ。

 明日は川越に帰り、明後日はセミナーへ参加するため箱根に向かう。山小屋にほぼ二週間いたが、東京のあの記録的な暑さを回避できたのはよかった。が、学会の発表や、中国調査のことなどで、精神的にはきつかった。今日は、やや涼しくなったので、ほとんど雑草だらけになっている畑に行って草取りをした。

 いつも山小屋に来る教え子(家族同然のつきあいだが)が第二子を産んだとの知らせが届く。女の子だということ。安産であったそうだ。よかった。ちなみに長女の名前は菊、今度は藤と名付けるそうだ。このクラシカルな名前に最初は戸惑ったが、今はなかなかいいなと思っている。三女はなんと名付けるのだろう。父親は「寅さん」映画のファンだから桜だろうか。松や梅はないよな。

   迎え火をさがす御魂の寂しさや