評価は難しい…2007/07/10 01:10

 T君のブログに人を評価することの難しさが出ていたが、私は、その評価が出来ない人間である。理由は簡単で根っからの性善説だからである。だから、私に面接をやらせると、あまり落とそうという方向に頭が回らない。でも、誰かを落とさなければならないから、いつも本当に苦労する。

 特に回りからこの人はちょっとというような情報が入り、面接してみて何か感じが悪くないと、きっといいところがあるのではないか、という期待値で判断し、客観的な評価が鈍くなる。つまり、情が絡むのである。それでうまく行けばいいが、だいたいは後でそういう判断を後悔することになる。

 その意味では私は人を評価することは得意ではない。特に、その人の悪い部分の判断が苦手である。ただ、そういう私の判断力を私は一概にだめだとも思っていない。確かに、私には甘さがあるが、その甘さによって、私は人との良い関係を築いているという面もある。私の知っている範囲で、人の悪い部分を必要以上に見抜く才能を持っている人は、だいたいに人から敬遠されている人物が多い。間違いなく私より孤独な人である。

 私は人間関係をうまく調整していく能力には欠けるので組織の長には適していない。私の甘さは、人が抱えているだめな部分を許容するために、いらぬ人間関係のトラブルを生み出すことになろう。時には厳しさも必要なのだが、なかなかそういう厳しさを自分には向けても他人に向ける勇気を持っていない。

 だが、組織の長になる事がなければそんなに悪い性格でもないと思う。人はみんなだめな部分を抱えている。誰か性善説の人がそういう人のだめさを見ない振りでもしてあげなければ、その人はこの世に居場所がなくなってしまう。そういう役割を私は担っているのかも知れない。組織の長はまっぴらだが、ごく身近な関係の範囲では私はこれからも性善説で行く。ただ、今、組織の長とは言えないまでも上の方にいるので、辛いのだ。

     炎昼にみじんもなきや人の情