類は類を呼ぶ?2007/07/03 00:14

 今日の基礎ゼミナールは、グループ討論というか、グルーブでテーマをたてていろいろと調べて、それをレポートでまとめるという作業であった。テーマは神保町にかかわるもので、みんなは情報室に行ってパソコンで検索したり、神保町を歩き回っていたようだ。けっこう楽しそうにやっていて、まあ何とかなりそうだ。

 ここのところ、学生の心の問題に関する相談が相次ぐ。昨日の科研の会合の後の打ち上げで、メンバーの一人が、勤め先の大学で、学生に困った相談を持ちかけられて悩んでいるという。その学生は、霊が見えるらしくて、教員の守護霊とか、他の学生の守護霊がよく見えてしまって、時には自分の守護霊と他の学生との守護霊との相性が悪い場合があるという。相談とは、ある学生の守護霊と自分の守護霊との折り合いが悪く、その人とはとても一緒にはいられない。ところが、その人は先生のゼミにはいっている。自分も先生のゼミに入りたい、でも、その人と一緒になるのは嫌だ、どうしたらいい、というものだそうである。

 教員の当人は悩んでいた。その学生にはゼミに入ってもらいたい。しかし、どう答えていいかわからないというのだ。何せ、霊の次元の話だから、説得が難しい。私は、教員としての立場なら、そういう理由であきらめるのはおかしいと学生に言うべきだと言った。その学生は社会にでても同じ事を経験するだろう。その度に人とのコミュニケーションを回避していたらまっとうな社会生活は送れなくなる。別に霊が見えなくても、世の中には嫌な奴はいくらでもいる。その嫌な奴と一緒に仕事をしなくてはならないのが社会というものなのだ。むろん、その学生がすでに病のレベルにあって、ストレスに耐え得ない状態であるのなら話は別だが、そういう場合は、教育の問題ではなく、カウンセラーか医者に相談するしかない。

 むろん、こう答えたからと言っても、悩んでいる教員は気が重いだけだ。実際に学生と付き合うことの気苦労は大変だと思う。私のところはまだ霊の次元での相談はないが、問題はいろいろある。やはり悩んでいる先生もいる。ところでその教員は民俗学者で異界とか供犠とかの研究をしている。だから霊の見える学生が寄ってくる、と思われる。実は私の演習にも、異界の好きな学生が集まる。類は類を呼ぶのか。このたとえはちょっと違うという気がするけど。

      七月や顔、顔、顔に元気あり

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