死と食の理論2007/07/02 00:07

 今日は供犠論研究会とNさんの科研の会合があり学習院大学へ行った。目白の駅を降りたら、小中学生とその保護者であろう集団で混雑していて、その群れは学習院大学の中まで続いていた。何事かと思ったが、何でも、日能研の模試があるとかで、大勢集まっているということだ。

 供犠論研究会は10年ほど前から続いていて、私は途中から参加した。その成果がやっと本になった。『狩猟と供犠の文化誌』(森話社刊)である。それと、科研の方の報告書も出たので、その合評会と打ち上げをかねての会合である。

 当初、私はこの研究会にはあまり乗り気ではなかった。というのも、自分の中で供犠というテーマをどう位置づけて良いのかよくわからなかったからだ。私は首狩りで知られた雲南省のワ族の発表だったが、この発表も最初はどういう風に論としてまとめていいか考えあぐねていた。

 ただ、この研究会で日本のあちこちを旅し、いろんな儀礼を見て歩き、また私自身、中国の少数民族文化の調査を続けていくうちに、だんだんと供犠という文化に興味を抱くようになった。供犠はある意味では消えていく文化ではあるが、社会的な現象としては決して消えない。人間の文化的行為としては、現代にでも様々な形で起き得る表象である。

 それは、人間と神との関係の問題であり、別な言い方をすれば、人間が人間として人間でないものの側から規定されるときの、その規定の条件の一つとしてしっかりと組み込まれているのが供犠なのだということである。供犠は犠牲とでも言うべきものだが、それは本来は神との媒介という意義を持つ。つまり、自分が神に近づくか、神をこちらに引き寄せる行為であり、その意味では、神を持たないものらにも、自分を絶対化するかあるいは自分を越えたなにものかに自分を委ねたいという願望を叶える行為でもある。

 主催者のNさんもそうだが、私も供犠が人間の食と深い関わりを持つことに関心を持った。というのも、供犠は、鳥、牛、羊、豚といった食用の家畜が対象であり、つまり、日常的な動物の死を、神への媒介という非日常への死に変えてしまうマジックなのである。今日の議論で、首狩りは他の家畜の儀礼とはやや違うのではないかという意見があった。

 確かにそうである。それは、首狩りが日常的な死を非日常へと変えるマジックを必要としないからだ。最初からその死が非日常なのである。そして、首狩りは食と関連しない。首狩りの多くの事例を集めた資料が報告書にあるのだが、それにも、首狩りとカニバリズムとの関連は指摘されていない。

 私の一つの興味は、この日常的な死と非日常としての死の隣接である。死は同じであるのに、その死を通して、人間は神との媒介という大きな精神の仕事をやってのける。さらには、その死を通して、様々な文化的意味を付加していく。例えば、神の食料であったり、祓えの意義であったり、というようにである。

 死と食とは、死と生であり、日常の光景ではあるが、人間にとって根源的である。つまり、日常と非日常がこれほど隣り合った表象はないのである。その隣り合い方は人間という存在と同じであるといってよい。人間の根拠もこの隣り合いにあると言っていいのではないか、ということだ。

 柳田国男は料理の発達は神へ捧げる料理から始まる、というように述べている(確か)。死は、日常そのものといえるがそれを受け止められないから非日常としての死を文化的に創造する。それが人間である。食は本来非日常だった。生きるとは、この非日常の食を日常の側に取り戻す行為ではないか。ふだんわれわれは意識しないが、明日の食の保証は本当は与えられていない。食が本来非日常というのはそういうことである。食を食べるときにお祈りをすることがそれをよくあらわしている。

 摂食障害も、ある意味では、この食の非日常性がもたらす現象だろう。非日常の食を日常の側に平然と取り戻すことは、ある者にとって軋みが生じる。日常の側にある食など本当は危うい幻想だと気付いたときに、逆に、その食を通して非日常に属しようとする考えも当然あり得る。そのあらわれが摂食障害と考えてもよいだろう。

    人形(ヒトガタ)や生きるも死ぬもひらひらと