五月の教室で2007/05/08 01:07

 今日の基礎ゼミナールは、学校生活を快適に過ごす方法として、とりあえず何故快適に過ごせないのかを書いてもらい、それを発表した。そしたら、不満がでるわでるわ。何処の大学でも同じだろうが、学生は不満を語る場が与えられたら、容赦はない。

 一番多かったのは食堂への不満。エレベーターへの不満。要するに、校舎が狭い、学生が多い、ということが原因である。どんなことにも原因がある。それをまず知ること。何故、校舎が狭いのか。それは、今われわれの住む日本が競争社会だからだ。大学も例外ではない。競争社会で勝ち抜くためには、志願者を増やす何かをしなきゃならない。それが、八王子校舎を撤退して、神田校舎に集中化した理由。だが、その弊害として、校舎が狭くなってしまった。それで、君たちが不満を感じる、と説明する。

 授業でこういう説明をするのもどうかと思うが、自分たちの不満が今の日本のあり方と結びついていることを知ることも大切だろう。

 授業で何故私語が多いのか。何故飲食していけないのか。何故遅刻や欠席は行けないのか、実は、基礎ゼミナールにはテキストがあって、そういうことが書かれている。考えてみればそんなことを書くテキストがあって、それを教えるというのものおかしいが、それが現実。学生の感想にも大学でこんなことを教えなきゃ行けないのか、という感想があった。

 それが現実で、現に授業中に、私語が多く、飲食し、化粧し、途中で出て行く、遅刻すると、やりたい放題。どうしていけないのか授業でやるのも納得である。

 授業という場は、君たちが自分を磨き自分の理想や希望をかなえようと思っているそういう場だろう。つまり、君たちにとってはどうでもいいような場ではなく、将来のかかった真剣で神聖な場でなくては本当はならないはずだろう。それなのに、おしゃべりしたり、飲食したりするのは、この場をどうでもいいと思っているか軽んじているサインであって、それは、とりもなおさず自分を軽んじていることではないか。自分を大事にしているならそんなことはできないはずだ。というのは、テキストに書いてあったこと。それを語ったら、とりあえずシーンとなった。

 社会は厳しい。会社で会議中にお喋りしたら、そのうちリストラされる。遅刻したらまず上司から軽んじられ、馬鹿にされる。基本的ルールを守るというのは、実は、社会では、自分が生き抜いていくための最低の条件である。アメリカ社会では、ここから入るなというルールを大丈夫だよといって破り撃ち殺される事件が起こる。撃ち殺されるのは日本人の留学生が多いという。日本人は、ルールを守らなくても気にしないかららしい。ルールを守らないと命が危ないなんて社会はいくらでもある。嫌でもそういう社会に出で行かざるを得ないときに、遅刻してもお喋りしてもなあなあですます日本の教育の現場は、犯罪的かも知れない。肝に銘じなければならないと思う。

 ちなみに、私は、自分がしゃべっているときに邪魔されると腹が立つので、お喋りは厳しく注意する。途中で席を立つのも原則として禁止。それは、自分が快適に授業をしたいからでそれが自分に課したルールであるからだ。

 授業態度まで教えなきゃ行けない時代になった。複雑な心境である。

   五月の教室で君たちは変わる

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