楽しく過ごす才能2007/04/13 23:39

 昨日は授業と会議。今日も会議と雑務で出校。奥さんは今日の午前に山小屋に向かった。私は行けない。明日は、古代文学会のシンポジウムがある。場所は私の勤め先だ。私が司会である。明後日は、岩波で座談会がある。私が発表の番である。つまり、休みはないということ。

 何となく気分が晴れないのは、忙しいせいか、いや、すっきりと先が見えないからだろう。仕事も自分の研究も、先がどうなるか分からないで、とにかく懸命にあれこれとやっているだけ。まあ、先が見えて生きている奴はほとんどいないだろうし、こんなものなのだ。要するに、気分が晴れないのは私の気質の問題かも知れないということだ。

 今日、去年の9月に見舞いに行ったOさんが4月4日に亡くなったという知らせが届いた。とうとうきたか、という思いであった。末期癌で、見舞いに行ったときはすでにかなり弱っていて、こんなに早く神秘な世界を覗くことになるとはなあ、と語っていたが、ついにそっちの世界に行ってしまった。

 この歳になるとこういう話が多くなる。私の番はいつだろうかなどと考え始める。こんなに忙しく働いていていいものなのかと考えることもある。かといって、暇だから何が出来るというわけではない。私が優れた仕事をするとするなら、それは忙しいとか暇だとかは関係ないだろう。優れた仕事の方が私を選ぶのであって、選ばれたら時間があろうとなかろうとやるしかないだろう。私が選ばれる機会がくるかどうかは分からないが。

 とりあえず、目の前の仕事を楽しくこなすことだ。楽しくなくても。そうやって楽しくする才能は少しはあると思っているのだが、最近気分が晴れないので、私の才能も枯渇してきたのかも知れない。

        春四月流れる雲を見送りぬ

        春の宴向こうの岸に膳揃う

歌の言葉の楽しさ2007/04/15 09:32

 今日は古代文学会の連続シンポジウム。私が司会をした。始まる前に新入生歓迎会があり。講堂に出席。新入生は50名いるかいないか。壇上でなんでこんなに少ないんだと驚く。やはり、出席を義務化しないと土曜日なんかにでてこやしない。講演会の副会長も来ていたのに、ちょっとみっともなかった。

 歓迎会を途中で抜け出しシンポジウムへ。こちらは80人ほどが集まった。けっこう盛況である。三人のパネラーによって「叙情と身体」というテーマで語ってもらった。それぞれ独自の叙情論を展開したが、発表が終わって相互討論になって、俄然盛り上がってきた。

 三人とも、学会の古参メンバーであり、それこそ30年以上も一緒の研究仲間である。その三人が、お互いの違いを認め合うのではなくて、それは違うのではないかと主張しあう展開になった。司会としては、しめしめというところである。司会が盛り上げる前にパネラー同士で盛り上げてくれて、ある意味では楽な司会であった。

 それにしても歌の言葉は面白いと思う。言葉が歌であることによって言葉はいろんな性格を帯びる。そのいろんな性格を説明することはけっこう楽しい。むろん、そんなに簡単ではない。30年以上も歌の言葉を論じてきた学会の重鎮が、いまだに違う言葉論を戦わせるのだ。私も今日は参戦しようと思ったが、司会の手前遠慮した。歌の言葉はやはり説明出来ないところを必ず残す。それをどう説明していくか、まだこの分野で楽しめそうだ。
 
 懇親会や二次会はたくさんのメンバーがきたせいか盛り上がった。私も二次会まで付き合い、少し飲み過ぎた。飲み会でこんなにしゃべったのも久しぶりだ。家に帰ったのはすでに12時をだいぶ回っていた。それから、明日(今日)の発表に向けて原稿を書き始めたが、さすがにダウン。3時頃床につく。

      春眠や次の目覚めも考えず

やっと楽になった2007/04/16 02:30

 今日岩波の座談会が終わり、ほっとした。これで今年前半のだいたいのイベントは終わった。今日は私の発表だったが、楽しい座談会だった。歌の言葉に関して、それぞれが本質的なところから語っていて、久しぶりに話していて面白かった。

 私は途中からの参加だったが、いろいろ勉強もし、誘ってくれたことを感謝している。久しぶりにプレッシャーを受け、かなり緊張したが、何とか乗り切った。二日続きのイベントだったが、何とか無事にやり終えた。どうなることやらと心配だったが、まあいつものとおり何とかなるものだ。

 明日(もう今日だが)から仕事である。やっと頭が普通の仕事モードになれる。しばらくは原稿のことを考えなくてもすむ。それだけでありがたい。

 青山七恵「一人日和」を読んだ。まあまあ面白かった。主人公の女性の、無為な生き方がよく描かれていたと思う。こういうのって若いときにあるよな、という感じはよく伝わってきた。激しいドラマがあるわけではないが、素直になれない女性のありそうな内面はきちんと描かれていた。それが芥川賞の理由だろう。

 ただ、物足りないのは、やはり文体だ。文章は作家の文章としてはうまくない。文章で人を引きつけない。吉本ばななのような、切なさを感じるような文体ではないし、なんて言うか、すっと内側に入れない、まどろっこしさがある文体だ。

 こういう小説はある意味で文体が命だ。最近、他の若い人の小説を読んでいないから何ともいえないが、この程度の文体で芥川賞になるのなら、作家の文章力は確実に落ちているのではないかと思う。学生に本を読ませるためにいろんなことを考えているのだが、その前に自分が読まなくてはと思い、最近の小説を読み始めたというわけだ。手始めに芥川賞の小説から読み始めたのだが、こんなものなのか、それとも、私の批評の感覚自体がおかしくなっているのか、もう少し他の小説を読んでみないと何とも言えないところだ。

        なんとなくものが言えた瞬よ風光り

女子職業学校2007/04/17 00:51

 朝から雨で寒い。こういう日は体調も今ひとつだ。昼頃出校。今年から、わが学校は八王子校舎を引き払い、神田校舎に集中させた。当然、一つの校舎では入りきらないから、いくつかの校舎で分かれて授業する。だから休み時間は移動しなきゃならない。今年から休み時間は20分になった。移動のためである。3号館から本館に来るのに7・8分かかることもある。途中長い信号があるからだ。 

 こういう雨の日は移動も大変だ。むろん、教師もだ。教材抱えて傘持って走るのも楽じゃないだろう。私は、遠い校舎の授業がないのでいいが。実は、あったのだが、けっこう教材を使うのでとてもじゃないが運べないと言って変えてもらったのだ。

 今日の基礎ゼミナールは、大学の歴史を教えた。明治19年に女子職業学校としてスタート。共立という名前は34人の有志によって建てられたからだが、この時代、有志が集まって事業を興したりする時に共立という名前をつけたので、共立という名前は流行ったらしい。

 創立メンバーの一人には、鳩山家の鳩山春子、永井荷風の父もいた。華厳の滝で自殺した藤村操の母親も名前を連ねている。当時のそうそうたるメンバーである。当時は、女性のまっとうな職業はなく、親や夫に不幸があればたちまち路頭に迷った。だから、手に職をつけるような学校を作ろうというのが動機で、他の女学校とは一線を画していた。

 当時の多くの女学校は、「金魚の刺身」と悪口を言われていた。きれいだけど食えないという意味で、社会に出ても職にもつけないことを教えているという意味だ。むろん、当時の女学生の多くは、在学中に見初められて結婚することが多く、その意味では花嫁学校であったのである。女学校の授業参観とは、男の親が参観することで、息子の嫁探しの場だった。そうやって一人抜け二人抜けして、最後に残った女子学生だけが卒業していく。つまり、息子の嫁にと指名されなかった学生達で、世間は彼女たちを「卒業面(づら)」と呼んだ。美人でないという意味がそこに込められている。詳しく知りたい人は、井上章一『美人論』を読むこと。

 共立はそうではなかったらしい。まともに職業教育をしていたらしい。どちらかと言えば今の専門学校みたいなものだったと言ってもよい。当時は裁縫の教育が主だったが、和裁、洋裁が当時の女子の代表的な職業技術だったからだ。だが、ほとんど退学している。これは、家事手伝いや、貧しさのためで、高い学費を払って卒業するまで娘を学校に行かせる親が少なかったということである。

 自分が入った学校がどういうところなのかを学ぶこともいいことではないか。特に女子の職業教育が何故必要とされたのか、そのことを知ることでだけでもいい。当時の女性の置かれた立場を学ぶことになる。一通り説明したあと、それについてどんなことを考えたかグループで話し合わせ、代表が意見を集約して発表をした。見事にみんな同じ感想だったが、それも予想通りで、とりあえずは大事なことは学んだはずなので、よしとしなくては。

 川越に8時に着いた。山から帰ってきた奥さんが迎えに来て、近くのとんでんに行って、夕飯を食べる。私は麦飯とろろ御膳。ここ二日ほど飲み会が続いて、食べ過ぎているので健康志向の夕食にした。

      はなずおう下に乙女の立つ如く

文学系の将来2007/04/18 10:32

 何でこんなに寒いんだろう。せっかく身体が暖かさになじんで無防備になりかけてきたところなのに、また警戒モードに逆戻りだ。

 自分の仕事の山場が過ぎたが、今度は、校務の方が問題山積。将来構想の問題がまた持ち上がってきて、自分たちの職場のこれから先をまたあれこれと考えなくてはならなくなった。

 考えようなのだが、今の職場を何とか快適にやりがいのある場にしようとみんなが努力しているときに、何年か先に改組をしようなどと言う話になると、今の努力はいったいなんのため。ということになる。

 が、そんなことはいつも起こり得る話で、先がどうなろうと与えられた環境の中で、その環境をどう改善するかだけを考えて行けば、それは無駄になることはない、とも言える。

 改組の話がつらいのは、文学が必ず排除されていく流れになっているからだ。時代の大きな流れはどうしようもないが、それでも、文学研究の学問としての普遍性を捨てる愚かさを社会は必ず気付くだろう。問題は、いつどうやって気付かせるだが、言えることは、今の文学部のようなままではだめだということだ。

 将来の改組は、おそらく、文学とはかけ離れた学部になりそうだ。何故なら、すでに文学系の学部はあるからだ。しかし、短大の教員は文系が多いから、自分たちの違う専門のところで働かなくてはならなくなる。今、全国の大学で起こっていることだ。中にはリストラにあう人もいる。

 だが、これはチャンスだというとらえ方も出来る。文学という学問の普遍性は何も、文学部といったところだけで成立するものでもないはずだ。やりようでは、いろんな分野でその価値を発揮させ、効果的な教育手段になり得るだろう。それをうまく見つけるチャンスに換えればいい。むろん、それはなかなか難しい話だが。

 『日本文学』4月号は、日文協の過去・現在・未来というテーマで何本かの原稿があり、けっこう面白かった。ほとんどアジテーションのような懐かしい文章もあったが、前田氏の文章はなかなか切実で読み応えがあった。

 とにかく今の大学の人文学のシステムを根底から変えないとだめだという主張だ。論文も書かない怠惰な教員が特権を固守し、優秀な若い研究者が職を持てない現状は犯罪的だとすら述べる。その通りだと思う。

 が、解決が、だめな奴は職を取り上げろと言う単純な主張になってはいけない。だめな奴も生きる権利はあり、それが特権的であろうと、簡単にその権利を奪うルールは、全体を不幸にする。そこが難しいところだが、結局、文学系の職場のパイをどう広げるかがポイントだ。

 理系にあっても文学系の学問の普遍性が必須になる環境を作っていくしかないだろう。そういう努力によって解決していくのが、遠回りのようでも早道とも言える。

 文学はすべての学問を含む。そう考えていくしかないのではないかとも思うのだ。

   眠れぬわたし春愁に気づきたり

心理学の難しさ2007/04/19 23:47

 考えてみれば先週の月曜から今日まで毎日神保町に通っていた、土曜は学会、日曜はやはり神保町での座談会。考えてみれば私は神保町周辺にずっと通っていた。大学(入ったのは20代後半だったが)大学院とも駿河台だったし、教えに行っていた予備校も駿河台だったし、もう30年もここに通っていることになる。

 駿河台の大学は見違えたが、あとはそんなに変わっていない。古本屋街がバブル期に多少移転したところがあって新しいビルに変わったが、街を一変させるものでもない。が、古い映画館跡や、大正時代のモダンな建築はさすがに見かけなくなってきた。時代の変化はそれなりに進んでいるのは確かだ。

 今日は心理学の新入生と教員との座談会。ガイドブックの広報用に使うものだ。心理学といってもとてもいろいろある。私どもの心理学コースは、臨床心理系で、心の悩みの解決といったイメージが強い。そういうせいか、人よりはナイーブな学生達が集まってきている。

 本当は、心理学というのは科学であって、心を一つの仕組みと見立ててその仕組みの解明やからまった仕組みを解く作業である。自分探しではないし、人を癒す学問でもない。だが、心という対象が生きている人間そのものであるということが、この科学を複雑なものにしている。対象がモノや麻酔で動かない身体ならいいが、生きている人間は、その心理の仕組みを分析しようとすれば、そのことによって仕組みが変化してしまう。

 よく言われることだが、精神分析が精神の病を生み出すということも起こり得る。なかなかやっかいである。カウンセラーは被相談者にある程度感情移入しなければ、相手は心を開かない。が、感情移入すれば相手の心の仕組みは見えなくなる。そのバランスをどうとるか、そこが難しいところだ。

 学生達はまだそういう難しさが分かっていない。科学であるということが実感として分かっていない。が、臨床心理系は認知系心理学のように実験やっていればいいというものでもない。何処かで自分を知りたいとか、誰かの悩める心を癒したいという動機を満足させたいと思っている。それは大事な動機だが、その動機が一度挫折しないとたぶん学問としての心理学には入れないだろう。

 短大でどこまでその厳しさを教えるかは難しいところだ。専門の心理学プロパーを育てるところではないし、就職に役立てればいいという程度のコースである。むろん編入したいものは後で厳しさを体験すればいい。

 が、あんまり甘い期待を持ってもらっても困るのでけっこう心理学は厳しいのだよ、と座談会の席上で釘はさしておいた。

      全身全霊もの喰う犬にも春

椅子の話2007/04/21 23:30


 金曜の夜に山小屋に来る。私は一ヶ月ぶりになるか。暖冬と言うが春は寒春のようだ。木曜には雪が数センチ積もったということだ。山の桜は今咲き始めたというところか。里の方はすでに満開を過ぎている。信州は今頃の花が美しい。辛夷や山桜が所々の枯りた山肌に点在する。山小屋の周囲の山にほとんど緑はないが、だんこうばいの黄色い花があちこちに咲いてこれもまた見頃である。

 金曜は、長野に来る途中栃木の宇都宮によってきた。墓参りである。天気が良く、まだ桜も咲き残り大きな辛夷の木も白い花を咲かせている。父親はもう25年前になるが、五月の連休の日に脳梗塞でなくなった。それで連休の前後は必ず墓参りに行く。61歳だったが、あと数年で私もそんな歳になる。墓参りをし始めてから25年経つが、この墓地の樹木はさすがに大きくなった。墓の近くの樹木は、墓守のようなものである。

 私は今週の週末はリハビリと言ったところだ。ここんとこ睡眠時間がとれず、体調も芳しくない。一休みして、来週から仕事。そして連休。連休に風邪を引かないよう気をつけなくては。 

 古代文学会のシンポジウムが終わって、M君と椅子の話になった。彼は椅子が好きでいろいろと集めているようだ。実は、うちの奥さんも椅子好きで、骨董屋で面白い椅子を見つけると、時々買ってくる。そこで面白い椅子を紹介しよう。まず五本足のスツール。いわゆる丸椅子だが、奥さんはある店から1万円で買ってきた。普通四本足なのだが、何故か五本足で、足の先や付け根の部分がなかなかしゃれている。珍しいスツールである。

 それから、私が王様の椅子と呼んでいる、三角の椅子。背もたれに彫刻があり、アフリカの紋様のようでもある。座る部分が三角になっていて、縁があるのでそのままでは座れない。買ったときは三角形のヒョウ柄のクッションが乗っていた。日本製でないことは確かであるが、どこの国で作られたかはわからない。しばらく私が座っていたが、座り心地がわるいので、今はインテリアとして山小屋の部屋の隅にただ置いてある。インテリアとして見ると、なかなかのものである。

     老辛夷墓の向こうで神さびぬ

どうやら風邪…2007/04/22 22:39


 連休に風邪を引かないようにと昨夜このブログに書いたのに、今日朝起きたら鼻水が止まらない。ついに花粉症か、と思ったが、朝から雨だし時期的にもう花粉症は終わりの頃だ。風邪かなと思ったが体調はまあまあなので、いろいろと身体を動かす。

 知り合いのところで今日は餅をついて昼を食べようとということで午前中に集まる。気温が低く風も強い。その吹きさらっしの風のなかで、餅をついたりしてたのがよくなかったのだろうか、午後になって体調が風邪らしくなってきた。

 午後は一人家に帰って寝ていたが、鼻水は相変わらず止まらない。典型的な鼻風邪のようだ。餅米や古代米などをせいろでふかし、それを臼に入れて杵でついたりしながら楽しくやっていたのだが、身体は楽しくなかったようだ。わたしだけダウンした。

 疲れが出たということはわかってる。毎年のようにこの時期には風邪を引くのだ。特に今年は忙しかったから予感はしていたが、身体は正直である。問題はどの程度長引くかである。2、3日で治ることはないだろう。それは確かだ。

 だんこうばいは壇香梅と書く。四月になるとここいらあたりの枯れ木の山に真っ先に黄色い花をつける。どこにでも生える灌木でけっこう生命力が強い。あぶらちゃんという似た花をつける樹もあるのだが、こっちはあまり見かけない。

     枯れ山の壇香梅から色をつけ

『蹴りたい背中』を読む2007/04/23 23:34

 今日は体調は最悪。熱もあったがまあいつものことなので出校。雑務と基礎ゼミナールの授業をこなす。基礎ゼミナールは、短大での授業や学校生活での問題点を考えさせるというもので、グループに分けて、それぞれに問題を指摘してもらったが、ほとんどが、学校への改善要求だった。別に不満を聴く授業をしたわけじゃなかったのだが、結果的にそうなったことは、教育環境そのものにいろいろと改善の余地があるということだ。

 それでも、自分たちが勉強している環境の何が問題なのか、それを知ることも大事なことだ。完全な環境など何処にもないが、その不完全さの中で快適に過ごすにはどうしたらいいか、本当はそのように議論を持っていきたかった。次の課題だ。

 綿矢リサの『蹴りたい背中』を読む。ここんとこ最近の芥川賞を読んでいるのだが、評判通り、この小説は面白かった。ディティールへの感覚的執着で文章を作っていくところがあり、二十歳にならないでこれだけの文体を持っているというのはたいしたものだ。

 主人公である高校生の男女は、こういった小説の定番通りに、社会に適応できない人間である。この適応出来なさをどう描くか、ここにその時代を生きる作家の人間を見る力量が問われる。

 お互いに周囲に適合できず閉じられた同士が、閉じられていることへの共感だけを頼りに接近していく。ただそれだけの小説であるが、自閉の中へ意志的に入り込もうするのでもなく、かといって、周囲に無理矢理あわせるのでもなく、それぞれ合わせ鏡みたいな二人が、最初からずれてしまった自分という存在を、どう意志的に受け止められるのか、そういった自分探しみたいな小説である。

 こういうのって分かるよなあ、という気はする。自分を確かめる手だては、周囲とずれてしまうディティールへの研ぎ澄まされた観察である。主人公の女子高生はこの感覚だけが鋭い。そして、この観察への執着が、孤独やあるいは偏執的な世界への傾斜を防いでいる。もう一人の男の子は、この観察する強い意志がないぶん、オタクの世界に過剰にのめり込むことになる。

 主人公の女子高生の苛立ちがよく伝わってくる。その苛立ちは、男の子の背中を蹴るという行為になってあらわれるが、そのちょっとしたサディズムによっても何も変わらない関係や現実の息苦しさは、青春というものがいつも抱え込む息苦しさだろう。

 こういう明るくない青春小説があるということに、少し救われる思いがした。

        春の宵苛立つ人も帰りたり

反復という理解…2007/04/25 21:09

 昨日は一日会議日である。風邪で体調が良くないのだが、出校。さすがに今日は休んだ。といっても今日は研究日なので、出校しても雑務以外の用事はない。ほとんど一日寝ていたが、一日眠れるというのは身体に疲労が溜まっているせいだろう。それでも、明日の教授会の打ち合わせの電話がかかってくる。

 三浦佑之氏の『古事記を旅する』(文芸春秋社)が送られてくる。三浦さんのは本は最近『古事記のひみつ』(吉川弘文館)を送っていただいたばかりだが、それにしてもよく本が出るなあと感心するばかりだ。毎月連載していた原稿をまとめたそうである。写真もきれいで、授業で「古事記」を教えている身としては必読の本だ。

 それから、これは読みかけているのだが、内村和史氏から『上田秋成論』(ぺりかん社)をいただく。結構な大著である。著者は、大学院時代一緒だった、といっても私より若い。かなり観念的な部分もあるが、面白そうだ。序に、あるテクストを読むことは、そのテクストの内実を文章として反復し得なければ読んだことにならない、と書いてある。つまり、秋成について書くということは、その文体が秋成的でなければ書いたことにならないと言うのだ。過激に言えば、書く対象に憑依したように反復しなければだめだ、ということか。

 危うい言い方だが、よく分かる。言おうとしているのは、たぶん、最終的には対象への愛に行き着く、ということでもある。ある対象を論じようとする時からすでにそのような憑依は始まっているだろう。そして、論じる対象を反復してしまうのは、無意識であるのに違いない。対象を論じているのか自分を論じているのか、見極めがつかないくらいに無意識となることが、意図されているということか。自閉的な方法だが、とてもよく分かる。国学を論じることは案外にそういうやり方でないと、相対化できないのかも知れない。

 それから古館綾子氏『大伴家持と自然詠』(笠間書院)も送っていただいた。これもいい本である。岩波での座談会には参考にさせていただいた。ついでに、最近送られてきた句集や歌集は以下の通りである。

小宮山久子『風越』(本阿弥書店)
篠原霧子歌集『白炎』(洋々社)  
松本ああこ句集『石鼎の羅』(巴書林)
松本ああこ歌集『雁ケ腹摺山』(巴書林)
今泉重子遺稿集『龍在峠』(自費出版)

 今泉重子遺稿集は、歌誌「白鳥」の同人である著者の遺稿集。10年前に自死。27歳であった。その半年前に、同じ歌人であった婚約者が病で急逝し、その後を追うように逝かれたということである。今時、こういうことがあるのかと驚いた。

      あなたを反復したいと余花の愛