風邪治らず映画を観る。2007/04/28 01:40

 さすがに風邪の方もしっかりしていてなかなか解放してくれない。今日は一日寝ていたが、だるさは取れないし、頭も重たい。昨日は出校で朝から忙しくその疲れも原因かも知れない。いつものことだが、この歳になるとなかなか治らないものだ。

 本も読めないのでDVDを借りてきては何本か見ている。今日はケンローチ監督の「麦の穂ほゆらす風」という映画を観た。暗い映画だろうなあと思いながら、あの「バベル」を押さえてカンヌで賞をもらった映画だから、とりあえず借りてきたのだが、やっぱり暗かった。

 1920年代のアイルランドの独立と内戦を舞台にした映画である。アイルランドの兄弟が英国軍に立ち向かう義勇軍に参加するが、独立のあと、義勇軍は内部分裂し兄弟は殺し合うことになる。その経過を淡々と描いた映画だが、結局、よくわからない映画だった。

 アイルランドは英国から自治権を獲得するが完全な独立ではない。それを受けいれる側と、徹底抗戦側で内部抗争になる。徹底抗戦派は理想主義的で社会主義国家を目指す。医学生であった弟は徹底抗戦派で、兄は受けいれ側で権力の側につく。そして反抗する弟を泣きながら処刑する。そこで映画は終わる。

 こういう悲劇は、ヨーロッパで何度も繰り返されたに違いない。旧ユーゴスラビアでの民族戦争も、今まで仲間だった同士が銃で殺し合いをした。国家や民族という抽象的な価値のために、戦争があるのだということがよくわかる。いままで友達同士で仲良くやってきたとか、村人として一緒に生活していたのに、という絆は、国家とか民族とか思想といった価値を違えてしまうと、何の役にも立たない、ということだ。

 そうではない社会をどう作るかが、私の若いときの理想主義だった。だが、その理想主義は、思想を違える相手を容赦しない残酷さを持つ。そういう矛盾にたじろいだときもあった。社会を変えていくということは、時間がかかり、鋭利な刃物でそぎ落としていくようなわけにはいかない。

 私が学生運動をしていたときに、より過激にならなかったのは、どこかで、社会を変えるのはそう簡単じゃないと分かっていたからだ。それを認めない者はテロリズムに走ることになる。この映画が何を言いたいのかよくわからないのは、権力側の現実主義と過激派の理想主義との単純な対立に兄弟を当てはめてしまったからだろう。

 暴力か権力か同じようなものだが、それとは違う別の視点、それは生活そのものと言っていいかも知れないが、そういった暴力には弱いとしても最後には暴力を相対化してしまうまなざしを欠いてしまうと、結局、暴力のむなしさだけをこれでもかと描くことになってしまう。

 この映画はそういう空しさだけを描いた映画だった。

       春の空人間のむごさ吸収し