反復という理解…2007/04/25 21:09

 昨日は一日会議日である。風邪で体調が良くないのだが、出校。さすがに今日は休んだ。といっても今日は研究日なので、出校しても雑務以外の用事はない。ほとんど一日寝ていたが、一日眠れるというのは身体に疲労が溜まっているせいだろう。それでも、明日の教授会の打ち合わせの電話がかかってくる。

 三浦佑之氏の『古事記を旅する』(文芸春秋社)が送られてくる。三浦さんのは本は最近『古事記のひみつ』(吉川弘文館)を送っていただいたばかりだが、それにしてもよく本が出るなあと感心するばかりだ。毎月連載していた原稿をまとめたそうである。写真もきれいで、授業で「古事記」を教えている身としては必読の本だ。

 それから、これは読みかけているのだが、内村和史氏から『上田秋成論』(ぺりかん社)をいただく。結構な大著である。著者は、大学院時代一緒だった、といっても私より若い。かなり観念的な部分もあるが、面白そうだ。序に、あるテクストを読むことは、そのテクストの内実を文章として反復し得なければ読んだことにならない、と書いてある。つまり、秋成について書くということは、その文体が秋成的でなければ書いたことにならないと言うのだ。過激に言えば、書く対象に憑依したように反復しなければだめだ、ということか。

 危うい言い方だが、よく分かる。言おうとしているのは、たぶん、最終的には対象への愛に行き着く、ということでもある。ある対象を論じようとする時からすでにそのような憑依は始まっているだろう。そして、論じる対象を反復してしまうのは、無意識であるのに違いない。対象を論じているのか自分を論じているのか、見極めがつかないくらいに無意識となることが、意図されているということか。自閉的な方法だが、とてもよく分かる。国学を論じることは案外にそういうやり方でないと、相対化できないのかも知れない。

 それから古館綾子氏『大伴家持と自然詠』(笠間書院)も送っていただいた。これもいい本である。岩波での座談会には参考にさせていただいた。ついでに、最近送られてきた句集や歌集は以下の通りである。

小宮山久子『風越』(本阿弥書店)
篠原霧子歌集『白炎』(洋々社)  
松本ああこ句集『石鼎の羅』(巴書林)
松本ああこ歌集『雁ケ腹摺山』(巴書林)
今泉重子遺稿集『龍在峠』(自費出版)

 今泉重子遺稿集は、歌誌「白鳥」の同人である著者の遺稿集。10年前に自死。27歳であった。その半年前に、同じ歌人であった婚約者が病で急逝し、その後を追うように逝かれたということである。今時、こういうことがあるのかと驚いた。

      あなたを反復したいと余花の愛