心理学の難しさ2007/04/19 23:47

 考えてみれば先週の月曜から今日まで毎日神保町に通っていた、土曜は学会、日曜はやはり神保町での座談会。考えてみれば私は神保町周辺にずっと通っていた。大学(入ったのは20代後半だったが)大学院とも駿河台だったし、教えに行っていた予備校も駿河台だったし、もう30年もここに通っていることになる。

 駿河台の大学は見違えたが、あとはそんなに変わっていない。古本屋街がバブル期に多少移転したところがあって新しいビルに変わったが、街を一変させるものでもない。が、古い映画館跡や、大正時代のモダンな建築はさすがに見かけなくなってきた。時代の変化はそれなりに進んでいるのは確かだ。

 今日は心理学の新入生と教員との座談会。ガイドブックの広報用に使うものだ。心理学といってもとてもいろいろある。私どもの心理学コースは、臨床心理系で、心の悩みの解決といったイメージが強い。そういうせいか、人よりはナイーブな学生達が集まってきている。

 本当は、心理学というのは科学であって、心を一つの仕組みと見立ててその仕組みの解明やからまった仕組みを解く作業である。自分探しではないし、人を癒す学問でもない。だが、心という対象が生きている人間そのものであるということが、この科学を複雑なものにしている。対象がモノや麻酔で動かない身体ならいいが、生きている人間は、その心理の仕組みを分析しようとすれば、そのことによって仕組みが変化してしまう。

 よく言われることだが、精神分析が精神の病を生み出すということも起こり得る。なかなかやっかいである。カウンセラーは被相談者にある程度感情移入しなければ、相手は心を開かない。が、感情移入すれば相手の心の仕組みは見えなくなる。そのバランスをどうとるか、そこが難しいところだ。

 学生達はまだそういう難しさが分かっていない。科学であるということが実感として分かっていない。が、臨床心理系は認知系心理学のように実験やっていればいいというものでもない。何処かで自分を知りたいとか、誰かの悩める心を癒したいという動機を満足させたいと思っている。それは大事な動機だが、その動機が一度挫折しないとたぶん学問としての心理学には入れないだろう。

 短大でどこまでその厳しさを教えるかは難しいところだ。専門の心理学プロパーを育てるところではないし、就職に役立てればいいという程度のコースである。むろん編入したいものは後で厳しさを体験すればいい。

 が、あんまり甘い期待を持ってもらっても困るのでけっこう心理学は厳しいのだよ、と座談会の席上で釘はさしておいた。

      全身全霊もの喰う犬にも春

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