文学系の将来2007/04/18 10:32

 何でこんなに寒いんだろう。せっかく身体が暖かさになじんで無防備になりかけてきたところなのに、また警戒モードに逆戻りだ。

 自分の仕事の山場が過ぎたが、今度は、校務の方が問題山積。将来構想の問題がまた持ち上がってきて、自分たちの職場のこれから先をまたあれこれと考えなくてはならなくなった。

 考えようなのだが、今の職場を何とか快適にやりがいのある場にしようとみんなが努力しているときに、何年か先に改組をしようなどと言う話になると、今の努力はいったいなんのため。ということになる。

 が、そんなことはいつも起こり得る話で、先がどうなろうと与えられた環境の中で、その環境をどう改善するかだけを考えて行けば、それは無駄になることはない、とも言える。

 改組の話がつらいのは、文学が必ず排除されていく流れになっているからだ。時代の大きな流れはどうしようもないが、それでも、文学研究の学問としての普遍性を捨てる愚かさを社会は必ず気付くだろう。問題は、いつどうやって気付かせるだが、言えることは、今の文学部のようなままではだめだということだ。

 将来の改組は、おそらく、文学とはかけ離れた学部になりそうだ。何故なら、すでに文学系の学部はあるからだ。しかし、短大の教員は文系が多いから、自分たちの違う専門のところで働かなくてはならなくなる。今、全国の大学で起こっていることだ。中にはリストラにあう人もいる。

 だが、これはチャンスだというとらえ方も出来る。文学という学問の普遍性は何も、文学部といったところだけで成立するものでもないはずだ。やりようでは、いろんな分野でその価値を発揮させ、効果的な教育手段になり得るだろう。それをうまく見つけるチャンスに換えればいい。むろん、それはなかなか難しい話だが。

 『日本文学』4月号は、日文協の過去・現在・未来というテーマで何本かの原稿があり、けっこう面白かった。ほとんどアジテーションのような懐かしい文章もあったが、前田氏の文章はなかなか切実で読み応えがあった。

 とにかく今の大学の人文学のシステムを根底から変えないとだめだという主張だ。論文も書かない怠惰な教員が特権を固守し、優秀な若い研究者が職を持てない現状は犯罪的だとすら述べる。その通りだと思う。

 が、解決が、だめな奴は職を取り上げろと言う単純な主張になってはいけない。だめな奴も生きる権利はあり、それが特権的であろうと、簡単にその権利を奪うルールは、全体を不幸にする。そこが難しいところだが、結局、文学系の職場のパイをどう広げるかがポイントだ。

 理系にあっても文学系の学問の普遍性が必須になる環境を作っていくしかないだろう。そういう努力によって解決していくのが、遠回りのようでも早道とも言える。

 文学はすべての学問を含む。そう考えていくしかないのではないかとも思うのだ。

   眠れぬわたし春愁に気づきたり