外国語は苦手2007/04/07 23:59

 今日はアジア民族文化学会の発送作業。午前中から機関誌や春の大会案内などを印刷し袋詰めする。手伝いも含めて5人で行い何とか夕方5時には終わった。今週は、ガイダンスで忙しかったが、実は、この準備でも忙しかった。

 ただ、ポスターは外注したので少しは楽になった。今までは私の家のパソコンのインクジェットで、A3のポスター200枚ほど印刷していたのだ。古いプリンターだから一枚印刷するのに数分かかる。200枚刷るのに相当時間がかかる。この手間が省けただけ楽になったが、その分費用がかかる。ただ、さすがに外注だと仕上がりがいい。

 学会の会員は減少気味である。昨今どの学会でも同じ悩みを抱えている。われわれの学会は、発足してまだ6年だが、そろそろ会員の中にも、興味を失ったり、あるいは研究を辞める人も出てきて、退会する人が増えている。本当は若い人が入ってくることで会員数は維持できるのだが、若い人があまり入らないのが減少の原因である。

 代表としては、何とかしなきゃいかん問題だ。学会の活動に興味を持つはずの若い研究者に学会の情報が伝わっていない、ということも考えられる。とすれば広報活動が大事なのたが、そかな余裕もお金もない。学会での研究発表や雑誌のレベルを高めていく、という地道な活動がまずは一番ということか。

 今度の大会(5月12日)は、沖縄の祓除儀礼、台湾の首狩り、苗族の歌垣、と日本を含むアジア地域のそれぞれの研究が3本揃った。面白い大会になると思っている。こうご期待。ちなみに、会場は共立女子大学、午後1時30分からです。

 昨年西安の大学に半年ほど留学していたI君が帰国していて、発送の手伝いに来てくれて久しぶりに会った。昨年夏、雲南であったが、その時流ちょうに中国語を話していることに驚いたが、やはり、現地で学ぶと語学は上達することがよくわかる。私などは、中国に10年行っているが、いつも通訳をつけてしまうので、結局覚えずじまいだ。この歳になると外国語を一つ覚えるのはかなりきつい。だいたい覚える暇がない。

 外国語を一つ話せることはきっと楽しいことなんだろうと思う。むろん、その才能が生かせていたらということだが。私などは時々日本語で相手に伝えることに苦労する。一番苦労するのが奥さんと話すときだ。理由は簡単で、長いこと一緒に暮らして居るんだから、ちゃんと言わなくてもわかるだろうと、かなりいい加減に短くぼそぼそとしゃべる。

 だいたい伝わらない。そういうとき、頭を切り換えてきちんと言葉を考えて話す構えになればいいのだが、何か、そこまで頑張って話すのは違うんじゃないか、と何処かで思っていて、結局わかんないならいいよ、と黙ってしまう。それでお互い気まずくなる。だいたいそういうことの繰り返しである。

 日本人が外国語の習得が苦手なのは、多かれ少なかれそういうところがあるからだろうと思う。きちんと話すには心の構えが必要だ。それは、まさに他者に出会うときの心構えと似ている。そういうのは面倒だという気分が抜きがたくあるのではないか。

 逆に、外国語をすぐに習得する人を見ていると、そういうところがない人だということがわかる。話すことを面倒がらない人だ。最近は、みんなよくしゃべるようになって、たいしたものだと思う。私は仕事ではよくしゃべるがそれは仕事だからだ。仕事ではハイになる。が、自分の世界では鬱だ。いつもハイになれない。が、外国語の得意な人はいつもハイなのではないかと時々思う。私にはやはり外国語の習得は無理だ。これは歳の問題だけではないようだ。

       たまにある桜映える午後無口

       辛夷も木蓮もいつもここで咲く

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