ハレの一日2007/03/11 01:04


 今日の結婚式はまず午前中に神田のカトリック教会、正しくは聖フランシスコザビエル教会の聖堂で式があり、その後で山の上ホテルで披露宴があった。この聖堂は明治7年頃に建てられたらしく国の文化財に指定されているという。なかなか立派な教会である。牧師さんがいろいろと宣伝していた。フランシスコザビエルの遺骨が祀られているということだ。

 知りあいの娘さんの結婚式で、彼女は赤ん坊のころからその成長を見ていたので、少々親のような気分になる。大学に入るときに小論の指導をしたことを思い出した。山小屋にも何度か来ている。

 それにしても彼女はかっこいい。身長は父親より高く美人である。W大の文学部に入り、大学院は建築科。この転身がすごい。学生時代は大学のオーケストラでビオラ奏者として活躍。世界ユースオーケストラの日本代表にもなった。オランダに留学し建築史を勉強、博士号も持つ。日本では、建築キュレーターとして、美術館や建築事務所で働き、今は、外国の某有名ブランドの日本支社文化事業部で仕事をし、仕事の合間に、演奏活動も続ける。たぶん、誰もが憧れる女性だろう。

 もう三十歳を越えてしまったが、これだけ活躍していれば結婚する暇も無かったろうと思う。今回結婚する相手は、私の同郷の歯医者の息子で、3歳年下の大学の後輩だそうだ。チェロ奏者で、演奏活動で知り合ったということらしい。今は、映像制作会社で働いていて、CMなどの制作をやっているらしい。両者とも現代を象徴する職業である。たいしたもんだなあ、としか感想がない。とにかく、Yちゃんも何とか結婚出来てよかった。 

 ビオラ奏者とチェロ奏者の結婚だから、結婚式は演奏会になる。さすがにうまいなあと感心。当たり前だが。

 宴が終わってから、歩いて数分の勤め先の研究室に行って着替える。さすがに結婚式の服装で卒業パーテイは気が引ける。パーティ会場はお台場の日航ホテル。二部の卒業パーテイだから、人数は少ない。学生は10名ほどで、招待された教員はそのくらい。教員の数と学生の数が半々という珍しい卒業パーティとあいなった。

 でも人数が少ない分、和やかでいい雰囲気の会であった。社会人がほとんどで、私より年上の学生もいる。二部は来年には消滅する。こういうあったかい卒業パーティがなくなるわけだ。寂しいことである。

 お台場から東京テレポート駅まで歩き、川越行きの電車に乗って帰る。お台場から川越駅に直通で行けるのは便利でいい。それにしても、めでたい一日であり、疲れる一日であった。今日一日、人生儀礼とも言うべきハレの儀式に付き合って、こういうハレの儀礼も悪くはないと思った。ほとんど自分自身こういう儀礼をしてこなかった私には、生活というものの大事な何かを体験せずに来たのかなあという気がする。

 まあとにかくめでたいハレの一日であった。

    春やハレの日みな神のごと笑ひ

熱中人にはなれない2007/03/11 23:52

 午前中に、アジア民族文化学会ポスターの原稿を作り、それをメールで送った。学会の準備もそろそろ始めないといけない。それにしても、ポスター作りは頭が痛い。理由は金がかかるということ。学会のお金も潤沢ではない。ぎりぎりで運営している。なるべく安くあげたい。でも立派なものを作りたい。なかなか学会運営も大変である。

 それが終わって、古事記のコラムも5枚何とか書き終えた。これで明日から、万葉集の発表要旨に専念できる。といってもあと一週間だが。まあ何とかなるだろう。

 BSで「熱中人」という番組をやっていて、けっこう好きでよく見る。今日は、全国にある流行歌や民謡や童謡等の歌の歌碑を調べている熱中人の登場である。何と50年間、全国の歌碑を調べ歩いているという。そこにどんな研究価値があるのかなどと問うてはいけない。こういうのは、人がやらないことをやることに価値があるので、目の付け所の面白さなのだ。

 後は、情熱とどれだけそのために自分を消費したかその消費の多さである。要するに変わった人の特集なのだが、世の中に何の役にも立たない(むろんそんなことはないが)と見えることに、これだけ熱中する、今の言い方で言えば「おたく」あるいは「マニア」のプロみたいな人が世の中にこんなにいるのだということに驚かされる。

 私は絶対に出来ない。歌碑を調べる仕事が来たら数日何カ所かを調べて分析し、ある程度の共通性や特徴を導き出して、だいたいわかった、で終わりだ。要するにすぐに抽象化して結論を求める。それでは熱中人になれない。熱中人は、分析したり、抽象化したりして結論を出してはいけないと思っている人たちなのだ。ただ、ひたすら労力を惜しまずに具体例のみを蒐集する人たちなのだ。評論家の私とは全くの対極にある世界である。だから見ている分にはいつも面白い。

 ちなみに同じ歌で全国で一番作られた歌碑の多い歌は、一番が「越中おわら節」28基。「夕焼け小焼け」27基、三番目は「琵琶湖就航の歌」だったか。別にこの統計に大した意味はないと思うが、意味のないことって面白いものだ。

 今日は風が強かった。時々春の嵐のようだった。チビと散歩していると、郊外の畑の土が当たって痛い。チビは風に向かって負けまいと進む。その姿がおかしかった。

    春塵に吠ゆる犬はかん高し