めげなければいいが…2007/03/04 02:02

 昼頃、古代の学会に出かける。いつもと違って東武練馬でやるので近くて助かる。川越駅で、夜9時発の梓の特急券を買う。ついでに、駅の本屋に寄って、日本書紀の文庫版がないか探す。研究室に置いてあるのだが、持ってきておくのを忘れた。岩波の大系本はあるのだが、重いので持って歩きたくない。今日、明日読みたいので、買ってしまおうというわけだ。が、置いてなかった。さすがに都心の本屋にいかないと置いてない。ついでに、西郷信綱『古事記注釈』の文庫版第六巻を買う。これも家にあるのだが、持ち歩くのに文庫版はそろえておきたい。

 学会の例会は、日本書紀歌謡についての発表。若い研究者だったが、この例会は一人3時間の持ち時間がある。発表は二時間近く、質疑応答一時間。一時間みっちり批判的意見にさらされた。昔からこの例会は若手にとっては通過儀礼みたいな場所だ。いいかげんだったり、テーマが甘い論だと、一時間絞られる。むろん、アドバイスももらえる。つらいと思うが、自分の研究を客観視するにはよい機会だ。めげないことを祈る。

 終わってから近くの中華料理屋で食事。ビールと紹興酒を少しばかり飲んだ。私は、梓にのるので途中退席。新宿に向かう。梓の車中で講談社『日本の歴史03』「大王から天皇へ」(熊谷公男)を200ページほど読む。飲んだあとだからさすがに集中できなかった。古墳時代と言われる4・5世紀についての最近の歴史認識を確認するための読書。

 4・5世紀は思ったより中国や朝鮮との緊張関係にあったことを理解した。日本が任那に執着したのは、進んだ文明の取得と鉄にある、ということらしい。この時期日本に竈が入ってきて、生活がかなり文明化した。ヤマト政権は、国内での権力の維持のために、それらの文明と鉄を必要としたということだ。

 ヤマトタケルの英雄伝承にはこういう対外的緊張は一切出てこない。なぜなら、ヤマトタケルが戦う相手は、野蛮で未開のイメージでなければならないからだ。中国から見ればそれは日本だが、日本から見れば、それは、日本の中の蝦夷なのである。自分のなかの野蛮を見出しそれを滅ぼすことは、自分が野蛮でないことを証明することだ。でも、自分が野蛮だったらどうするか。自分を攻撃し自分を排除するしかない。

 その役割を担わされたのがヤマトタケルということになろうか。そんなことを考えているうちに眠くなり、茅野に着いた。迎えに来た車に乗り山小屋に向かった。山は、月明かりで明るく、雪もこのところの暖かさでだいぶ消えたという。それでも、月明かりの中に雪のまだ残る山が鮮やかに見える。

    月と雪に幽明なり山笑ふ