寒天干し2006/12/31 01:13


 茅野は寒天の生産地である。昨年はダイエットにきくということで寒天ブームとなり、寒天作りも忙しかったようだが、今はどうもあまり寒天の話題は出なくなった。いつもの地味な食品に戻ったようだ。

 山小屋の近く、山の麓にある湯川地区の田圃で、冬になると寒天作りをしている。その光景を見ると、冬が来たという実感がある。寒天作りとは、天然のドライフード作りのようなものである。天草を煮つめ、その煮汁を固めたいわゆるてころてんを、冬の寒気にさらして干すのである。ところてんは寒さで凍ると、水分を蒸発させていくので、次第に乾いた繊維のようなものだけになる。それが寒天である。

 諏訪地方は冬は乾燥していてしかも氷点下になるので、このような天然のドライフード作りには適している。茅野にはもう一つ「氷餅」というのがある。これは、餅をやはり冬の寒気にさらして凍らしドライフードにしていくもので、和菓子の原料になる。この「氷餅」を、お米を炊くときに一個入れておくと炊きあがったご飯が餅米のような食感になるのでお試しあれ。

 寒天を干すころになると、そこを通りかかったときには写真を撮る。私がいる山小屋は車山の中腹になるが、その麓の村(今は地区となっている)が、柏原地区であり湯川地区である。この地域は、八ヶ岳山麓につながり縄文時代から人々が生活していたところだ。だから、縄文時代の遺跡があちこちにある。

 柏原は、湯川の上にある村で、大晦日にはこの村のお寺に二年参りをしに行くのが恒例になっている。村の人たちがやってきて除夜の鐘を撞くのだが、別荘の住人も撞かせてくれるのである。お寺の上には柏原神社があり、そこの絵馬には俳句がたくさん書かれていて、明治の頃の絵馬らしい。村人が俳句を奉納したもので、この村は俳句をたしなむような教養人の多かったことがわかる。実は、私の山小屋のある別荘地は、この柏原地区の財産区で、この村が実質的な所有者である(名目上の所有者は茅野市)。つまりかつての入会地で、われわれは地代をこの村に払っているわけである。

 その下の湯川地区には「河童の湯」という公営の温泉があり時々入りに行く。湯川の人以外は400円だが、湯川の住民は100円で入れる。夕方入りに行くと、一仕事を終えた村人が湯に入りに来ていて、世間話やこの地域の様々な話題が飛び交う。そういう話を聞くのもまた面白い。

    年も暮れ寒天干しを見ていたり

身あらたむ2006/12/31 22:06

ようやく大晦日である。こんな感じで年を取っていいものかと思うが、行く年には逆らえない。来年は去る年よりいい年であってほしいと手向けするほどの信仰心を持ち合わせているわけではなく(そういうのはとても好きなのだけれど)、ただ、心の中でどの神様に祈っていいのかわからずに無事安穏を願うのみである。

 山小屋には家族同然のつきあいの教え子が子供を連れて来ていて、蓼科にログハウスを買った知り合いも来ていて、静かとは言えない31日ではあるが、まあこんな感じで年越しをするというのも悪くはない。

 北朝鮮の人々もイラクの人々も、いやそれだけではなく辛い年越しを味わうたくさんの人々に何が出来るというわけではないが、こういった矛盾を抱え込んでいるからこそ、来年は!といった言い方があるのだということは肝に銘じておこう。

 紅白を見ていて、若い歌手の歌がほとんど人生の応援歌であり、演歌歌手の歌が、失恋や人生を外れてしまったものへの哀歌であるのに気づいたのだが、演歌が代表するかつての時代にはまだ裏側を生きざるを得ない人々への情にあふれていた。が、今、普通の生き方を外れてしまったら簡単には戻れないという格差社会の現実が、こういう応援歌を必要としているのかなと、と感じた。

 今年はどんな年だったのか、よくわからない。いつものように忙しい年だったことは確かだ。どのくらい自分のためではなく人のために生きたのだろうか、と思うこともある。日々生きること自体ボランティアであるというのは私の信条であるから(ボランティアというと少し大げさだけど、人のための人とは、ごくごく身近な人たちのことをさします。)、少しくらい人のためになっていればまあまあよしとしよう。

 今年も除夜の鐘を撞いて、身を改めるとしよう。

     除夜の鐘鬼もひっそりと身あらたむ

     大晦日鬼も杓子も走りけり
  
     行く年や祠の雪をはらひけり