電波時計を買う2006/12/22 00:07

 今日は校務で出校。今日は木曜だが、授業は月曜日の振り替え授業である。月曜日は休日が多いので、授業回数を確保するためにこのように他の曜日に振り替えてる日を設けている。そういうことのなかったかつては月曜日に講義日を入れて、休日が多くて楽だなどとみんな思ってたのだが、敵もさるもの、ちゃんと他の曜日と同じように授業回数を確保してきた。

 帰りに池袋のビックカメラで時計を買う。私の時計は10年前にこれもビックカメラで買った、カシオの高度計付きのアウトドア用時計である。中国に調査に行くときに勧められて買った。今でも電池を交換しつつ使っているが、最近スーツで仕事をすることが多く、さすがにその時計はおかしいと奥さんに言われ、仕方なく買うことにした。

 セイコーのソーラー式電波時計というのを買った。時刻あわせも入らない電池交換も入らない、無精の身としてはこんなありがたい時計はない。1万円くらいと考えていたがさすがにそんなに安いのはちょっとという感じで、セイコーの3万4千円のを買った。こんなに高い時計を買ったのは初めてである。今腕にはめているのも3万円はしなかった。ただ、今回ポイントが1万円近くたまっていたので、結果的に2万5千円で買えた。よく高い時計を買う人がいるが、その感覚が私には分からない。まあ消費欲望というのは人それぞれで、わたしだって、他人から見ればなんであんなことに金を使うのか、などと言われているかもしれないのだ。

 明後日、岩波の座談会がある。その準備もしなきゃ行けないのだが、なかなか進まない。坂野信彦『七五調の謎をとく』(大修館書店)を読み返してみた。この本なかなか面白くて、例えば古今集以降の和歌は、最後の句の七音が、ほぼ三四調であると言う。それが安定するからだ。

 例えば「浦の苫屋の 秋の夕暮れ」などがそうである。ところが、万葉には四三調というのがある。例えば「竹の林に 鶯なくも」あるいは「わが恋止まめ」などがそうである。この四三調は韻律という点から見れば落ち着かない。不安定である。が、一方ではだからこそ、心情が強く表出されることになる。

 ところが、古今以降はこの四三調をほぼ禁じていったというのである。統計によればほぼ古今以降、三四調なのである。ところが、明治になって、万葉の復活とともに、特に齋藤茂吉によってこの四三調は復活するのだが、実は、別に万葉復活でなくても、短歌革新を担った歌人は四三調を好んで用いた。与謝野晶子の「みだれ髪」は四三調が3割近くに登るという。つまり、王朝和歌へのあらがいは、この三四調の韻律を壊すことから始まったと言ってもいいだろう。

 ちなみに正岡子規が激賞した、実朝の歌「時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまえ」も最後は四三調であるという。
 
      韻律も何もないまま冬の雨
 
      極月や狂わぬ時計買い求む