観光エネルギー爆破現場に遭遇2006/08/29 12:37

27日に雲南より帰国。今回は、歌垣調査というよりは、大理学院との白族文化シンポジウムが主であった。昨年の夏に私と大理学院との人々間でまとめたシンポジウムだが、結構向こう側では力が入っていた。小泉首相の靖国参拝も問題にならずに、何とか無事に終了した。

当初、21日シンポジウム、22日・23日歌垣見学という予定だったが、突然歌垣の日程が違っていて、19日からという連絡が入り、シンポジウムを19日にやりたいと言ってきた。われわれは19日成田発、昆明着だからそれは無理である。現地にいた工藤さん達が交渉し、何とかシンポジウムを22日と23日に繰り下げ、20日に歌垣見学とした。

20日は歌垣二日目のはずだが、行ってみると20日が一日目で、何が正しいのかよくわからなくなった。いったい日程の把握はどうなっているのか、まったく振り回され右往左往の連続であった。

行きの飛行機も、成田から広州までは日航、広州から昆明までは中国東方航空だが、一日前にその便がキャンセルになったとので後の便に振り返ると、旅行社から連絡。結局、広州では6時間近く待機させられた。広州の搭乗手続きのカウンターに行ってチケットを出すと、これは失効した言うばかりで、その後の説明がない。えっそんなばかな、後の便に乗れるはずだと言うと、これでは乗れないという。メンバーに台湾出身の人がいたので、聞いてもらうと、つまり、別のカウンターに行ってチケットを修正してくればいいらしい。それならそうと最初から言ってくれればいいのだが、言葉が通じないのと、余計なことは言わない無愛想さで、いったんは途方にくれた。これも中国である。

シンポジウムはうまくいった。アジア民族文化学会との共催だが、一応、国際シンポジウムと銘打っている。日本側は15名参加で、発表者は4名。私は今年から代表なので、最初に挨拶させられた。白族文化研究の初めての国際学会ということで、大理学院の力のいれようはたいしたもので、藍染めのバックに、大理石の壁掛け、それに発表者のぶ厚い資料論文集が配られた。大理石の壁掛けはみな困り果てた。こんなに重くてかさばるものをどうやって持って帰るのか。私は張先生にあげた。中には捨てた人もいる。中国のお土産は、大きければ大きい方がいいという発想があって、しかも、何処の土産物屋でも売っているありきたりのものばかりだ。日本へ持って帰るわれわれの事を少しも考えない。これも昔から変わっていない。今まで、もらったお土産をいくつ中国に置いてきたことか。

しかし、シンポジウム、特に、白族の研究者の発表はけっこう多様で面白かった。水準も高く、何よりも、外側からでは知り得ない白族文化の奥行きがよく理解出来た。やはり、こういう研究会特に、地元の自民族の研究者が、自分たちの文化研究をするということが必要だなということを身にしみて感じた。このシンポジウムの成果は本にする予定である。それが楽しみである。それにしても、歌垣の会場にある石宝山賓館はひどかった。まず夜は寒く来て眠れなかった。トイレは壊れていて修理しないと使えない。お湯も満足に出ない。辺境の中国をメンバーともども堪能した。

最後の二日間は麗江での観光であった。行って見て驚いた。まず観光客の多さ。観光街全体の騒音。古城の街のあらゆる通路がおみやげ物屋に変身していた。大理でもおなじだった。要するに、大勢の中国人達が観光にと、世界遺産である麗江にやってきたのだ。これほどのすごさは今年が初めてだ。

特に中国の若者達が目立つ。古城街では水路を挟んでレストランが並んでいるが、ナシ族やモソ族の衣装を着た従業員とともに、若者達が、店の中から水路の反対側の店の異性の客達に向かって、歌を合唱すると、相手も歌い返してくる。その歌声で街は興奮状態になっていた。さながら、歌垣のようである。ほとんど渋谷で歌の掛け合いをしているようなもので、これも文化である。それにしてもこのエネルギーは凄い。中国社会の内部に溜まっていた観光へのエネルギーが爆発した感じだ。特に、沿海部の中国は夏が暑いので、沿海部の金持の中国人にとって涼しい雲南は避暑地として理想的な観光地なのだろう。日本で言えばアウトレットが出来て始終混雑している今の軽井沢か。

ともあれ、10名の会員を引き連れ、シンポジウムの計画と発表と参加人員の募集、ツァーコンダクター、観光案内、ほとんど一人でやったこの夏の学会の仕事は無事に終わりとなった。

 毎回行くたびに、いろんなところで中国の人々の欲望が爆発している現場に出会う。今回は麗江だった。それはいいことだと思う。日本もそうやって欲望を爆発させながら、現在の社会を作り上げてきたのだ。いい社会を作ったとは思わないが、欲望を抑えつけられたりあるいは掻きたてられない社会よりはいい。ただし、我々が研究している文化は、この欲望の爆発によって失われるような性格のものだ。だが、麗江の古城で歌を掛け合う若者達を見ると、消費文化の欲望は伝統的な文化の中に無いわけではないことがよくわかる。文化というものは、時代時代によって形を変えるものであることも確かだ。そのことを確認した旅でもあった。