8月15日の心の整理2006/08/17 17:36

今年の夏はいやはや暑い。8月の前半は山荘にいたが、オープンキャンパスやらAO入試やらで何度も勤め先に出かけた。信州からの出勤で交通費はかさんだが、暑いよりはましだ。しかし、19日から雲南省に行く予定なので、その準備もあって、15日には自宅に戻り暑い最中にいろいろと準備に追われている。それでも原稿は二本書いた。といっても短歌関係の論で、正岡子規についてと、癌で亡くなられた短歌評論家小笠原賢二についての文章である。だから相変わらず忙しかった

長野では田中康夫が選挙で負けた。勝った村井仁は、あの村井紀氏のお兄さんだ。もと国家公安委員長である。田中康夫は面白いが何考えてんだかよくわからないところがあるし、思いつきで行動するタイプ。根回しがないとスムーズに動かない日本の組織には合わない。それが期待されたわけだが結局だめだった。小泉と同じで世の中パフォーマンスではうまくいかないというところか。政治は人を動かすところ。自分だけで動いても政治は出来ない。

私など人を動かすのが苦手だから頼みづらいときは自分でやってしまう。だから私は政治家にはなれない。田中康夫も人を動かすのが苦手なタイプのようだ。こういうタイプは権力に頼るようになる。それが裏目に出たということだ。小泉政治もそうだが、成功したのは、それなりの経験があって、そして組織があって、うまく人を動かしたからだろう。一匹狼の田中康夫とはそこが違う。

長野で福祉のボランティアをやっている人と話す機会があったが、長野は、住民の自主的な福祉活動に融資する制度がきめ細かいらしく、田中県政のいい所だと言っていた。たぶん、これからこういうところの予算が削られて行くに違いない。果たして長野はこれからどうなるのか。

15日にやはり小泉首相は靖国に参拝した。総理候補の安部と福田がもっと競っていれば参拝はなかったかもしれないが、福田が降りてしまったので、行きやすくなったのは確かだ。問題は中国の反応だ。22日に雲南でシンポジウムを予定しているので、もし反日機運が盛り上がれば中止ということもあり得る。今の状況ではそうはならないようで胸をなでおろしている。

最近のマスコミに登場する靖国参拝賛成派の頻度が著しい。これを契機にナショナリズムの攻勢を掛けてきているようだ。その流れにのって、加藤紘一の実家を焼くという右翼テロまでいってしまった。私などは、このようなナショナリズムの攻勢は、つかの間の夢の様な具合に終わるのではないかと思ってはいるが、少しは不安でもある。

日本が多少保守的になって中国や韓国の反感を買っているとしても、そのことがアメリカのアジア戦略の重荷になり、しかも世界での平和国家日本のイメージにマイナスとなるという意味で、それ以上の保守化は現実的には困難だ。孤立を避けるのが日本の生きる道であるなら、極度の保守化は避けざるを得ないし、憲法改正も難しい。憲法改正の条件は、日本が戦争責任を認める歴史認識を明確にし、軍事国家にならない保証を与えることだ。それなしにやれば日本はアジアで孤立する。保守勢力はそれができないから憲法改正も出来ないというジレンマにある。

靖国参拝賛成派の主張の根っこには日本の戦争そのものが欧米によってしかけられたものであり、仕方がないものであって日本にそれほどの責任はないという考えがある。アジアへの侵略も、欧米の植民地化をまねただけであり、日本だけが責任を負うというのはおかしいというもので、また東京裁判についても、戦勝国が裁判官として裁くのはフェアでなくおかしいというものだ。

日本が、江戸末期の開国時に欧米に結ばされた不平等条約を改正させるために富国強兵政策を取り、利権の獲得のためにその同じ不平等条約を韓国や中国に押しつけていった。欧米との生き残りサバイバルゲームに参加したというのは確かだ。欧米の植民地主義は批判されるべきだが、だからといって、侵略や戦争をしかけて何千万の死者をアジアに出した日本の責任が無くなるわけではない。侵略された側にとって、そこにどんな言い訳があろうと侵略は侵略であり破壊され殺されたものの痛みが消えるわけではない。その痛みへの想像力がなければこの問題はいつまでたっても解決しはしない。

もし欧米の侵略にアジアを守るというのなら、欧米的植民地政策ではないどういう方法が可能だったのか、日本は考えるべきだった。安易に欧米的富国強兵政策を選択した。それは本当に仕方がないことだったのか。実はこの問題は今でも尾を引きずっている。日本は将来アジアとの共同体化なしにはやっていけない。その方法を欧米的な、例えばブッシュの武力民主主義覇権主義に乗っかる形で行うのか、あるいは、EUをまねるのか。今日本はそのイメージを何も出せないでいる。とりあえずはアメリカ方式に従うだけだ。

欧米方式による植民地化によって始まったアジアのグローバル化は、経済が先行したグローバル化をどのように国家間のネットワーク化として着地させるかそのやり方を見いだせないでいる。明確なのは、欧米方式は簡単には通用しないということだけだ。その答えを出せるのはたぶん日本である。なぜならアジアで日本が一番切実に他国との関係無しには生きていけないからである。中国は自国に膨大な低賃金労働者と、将来有望な消費者を抱えている。とりあえず自国の経済成長で当分はやっていける。その意味では日本が中国を必要としているほどには中国は日本を必要としていない。皮肉にも、一番孤立できない日本が靖国問題で孤立もやむを得ないという方向に向かっているわけだ。

民主主義と自由経済というグローバルスタンダードを持つ日本が、アジアネットワークの中心になるのは当然だとして、だが、かつての戦争を欧米の植民地主義に従っただけだといっているような責任転嫁や非自立志向ではだめだということだ。欧米がイスラムでやっているようなことではない他国との関係構築のモデルをどう打ち出すか、それは、中・韓との関係構築の問題として最初に問われる。逆に言えばここさえ突破出来れば、日本は世界に欧米方式ではないモデルを提示出来る。

中国との戦争を当初日本は戦争と認めなかった。戦争とみなしてしまうと、アメリカは戦争当事国への輸出を禁ずる国内法によって日本への輸出をストップするからだ。だから、戦域を拡大しない方針を立てて、日中戦争といわば日支事変と呼んでいた。だが、軍部の暴走で一挙に戦線が拡大し、当時の首都南京攻略にまで突き進んだ。南京にいた国民党軍は軍服を脱ぎ捨てて逃走したため、日本軍は市民を大勢殺した。それを目撃した外国人がその映像をアメリカで流し、アメリカ政府は日本に対する制裁を決断する。先日NHKでやっていた戦争関連番組ではそういう経過だと語っていた。

要するに、日本は孤立化を避ける方法を知っていたのだが、軍部の中国侵略独走によってそれが出来なかったということになる。軍部は、中国はすぐにでもつぶせると戦線を拡大したが、実は、日本の友好国であったドイツから中国国民党は新兵器を買っていた。日本はそれを知らなかった。情報を軽んじ、客観的な判断の出来ない軍部の言い分を誰も止められず、数百万の命を失うはめになった。東京大空襲は十万人以上の市民が亡くなったが、軍部はNHKに対して空襲警報や敵機来襲の情報をラジオで流すことを禁じた。大阪や名古屋ではラジオで今敵機がこちらに向かっていることをラジオで放送していたという。

何故、東京で禁じたかというと、天皇にいちいち防空壕に入ってもらうのは気の毒だからということらしい。こういうばかげた事で人の命が失われる。これは今の靖国問題だって同じだろう。冷静で客観的に判断すれば、憲法違反との判断が出ていて、しかも、国益を損なうのが誰を見ても明らかであり、天皇も行けない参拝に固執する意味など何処にもない。魂を祭るなら家でも祭れるし、キリスト教の教会でもお寺でも何処でも祭れる。あるいは、シンボリックにやるならそれこそ宗教色を抜いた施設を作ればいい。かつての軍部のように自分たちの内部の論理だけで他人の意見に耳をかさない今の保守勢力は、どうも危なっかしい。

東京裁判批判もそうだ。確かに、戦勝国が裁くという問題や、BC級戦犯をあんなに処刑することはないじゃないかという疑問はある。が、それじゃ、当時第三者に任せた公平な裁判が出来たのかというと、それは無理だろう。結局フェアじゃないという批判は、いくらでもフェアに出来たのにそれをしなかったという場合に説得力を持つが、ほぼ世界が二つに分かれて戦争した世界戦争で、第三者によるフェアな裁判は無理だろう。その意味で、東京裁判がフェアじゃないという批判はあまり説得力を持たない。仮に、日本が勝利したら敗者を裁判というやり方で裁いただろうか。たぶんやらなかっただろう。一方的に負けた側を殺していたはずだ。

もし戦勝国の連合国側が東京裁判をせずに、これは復讐である宣言し敗戦国である日本の主導者や兵隊を銃殺にしていったらどうだろう。ある意味でフェアではないか。やられたらやり返す。戦争とはそういうものだ。文句が言えるだろうか。日本の戦国時代はそうやっていたではないか。ようするに、確かに東京裁判はまともではなかったかも知れないが、当時の状況ではむしろ、裁判という形式がかろうじて成立したことは、復讐の論理で徹底して殺されるよりは少しはましなことだった、と思うしかないということだ。

15日に戦争を振り返る番組をやつていて、それを見ているうちにいろいろと言いたいことが出てきたので書いてみた。こういうのを書く場所ではないが、たまにはいいではないか。今の日本はあまりいい状況とも思えないし、その意味で心にたまったもやもやを整理してみた。

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