復讐ものの傑作「魔王」2020/07/27 17:20

 前回、韓流ドラマで復讐ものはあまり好みではないと書いたが、しかし、復讐ものは韓流ドラマの王道であり、これ無くしては韓流ドラマは成立しないと言っていくらいだ。私が最初にはまった「チャングムの誓い」も考えてみれば復讐劇だった。チャングムは母親の死の真相を究明し復讐を果たすために医女になって宮廷に舞い戻り、最後に復讐を果たす。ただし、復讐を果たすまでは、悪人たちの陰謀に何度もあい、それを切り抜けていくという繰り返しである。私などは、これでもかと繰り出される陰湿な悪巧みに、ヒロインが切り抜けることを分かりつつも、そのしつこさに観ていて疲れてしまう。

 このいじめとも言える陰湿な悪巧みが復讐劇の特徴で、いじめられる(たいていは不幸な境遇にある女性)人物が可哀想であればあるほど、最後に復讐を果たしたときのカタルシスは大きくなる。このカタルシスを期待して観る側は主人公への理不尽な仕打ちに耐えて観ているのだが、我慢の限界というものがあり、途中で観るのを放棄してしてしまうことがある。観る側の心性によってこの限界点も違ってくるが、私は、この限界点が低いほうなので、観るのをすぐに放棄してしまうのである。例えば復讐劇の代表作であるイ・ユリの「福寿草」などはもう最初から観るのを放棄している(ただしイ・ユリは好きな女優)。

 韓流ドラマの特徴を一言で言うなら、情の過剰さを描く、ということになろう。復讐ものは、理性を捨て情に支配された人間の物語である。いじめる側の残酷さも、憎しみという情が過剰になりすぎ押さえが効かなくなっている、一方、復讐する側も時に情を爆発させ、やり過ぎる。この情と情の戦いの演出に韓流ドラマの醍醐味がある。

 復讐ものの苦手な私が観た数少ないドラマの中で傑作を挙げるとすれば、「魔王」(2007)である。このドラマは日本でリメイクされている(嵐の大野智と生田斗真主演)ので日本版で観た人が多いかも知れない。「魔王」は、復讐の過剰さを描いたドラマである。復讐の原因となった事件より、復讐する側の情の過剰さを描いたドラマと言ってよい。

 復讐する弁護士をチェ・ジフン(日本版では大野智)、復讐される熱血刑事役をオム・テウン(日本版では生田斗真)が演じている。このドラマは、悪者の理不尽な仕打ちがない。ただ復讐のきっかけになった事件によって不幸のどん底に落ちた主人公が、その事件の関係者に次々に復讐の刃を向けいていく。ただこのドラマの面白さは、その復讐のプロセスにある。チェ・ジフン演じる弁護士が復讐を演出するのだが、直接手を下すのではなく、復讐される当事者の悲劇は、その生き方が招いた自業自得であるというように仕組まれる。つまり決して法的に責任が問われないように復讐劇は進んでいくのである。ただし、それでは復讐とはわからないので、タロットカードを送りつけ、復讐の悲劇が起きるのを予告するという方法をとる。それによって、一連の事件が復讐劇であることを当事者が知るのである。

 大変よく出来た脚本で、先の読めない展開、伏線の巧みさ等、韓流ドラマでこれほど巧みな筋書きのドラマはないのではないかと思う。特に、チェ・ジフンがまた適役だ。オム・テウンも悪くはないが、あれだけのトラウマを抱えた少年(しかも御曹司)が、熱血正義感の刑事になるという設定に違和感が残る(オム・テウンのキャラの問題があったように思う)。この人は、「善徳女王」のキム・ユシン役を演じていたが、陰のある役は苦手のようで、時代劇の方が適役の俳優だろう。やはり、このドラマはチェ・ジフンの独壇場であるといって良い。陰を抱えた無表情さのなかに、復讐への過剰な情を抱え、その情を抑制できなくなる後半の演技が光る。ヒロインにシン・ミナが出ている。恋愛の要素がほとんどないドラマだが、チェ・ジフンに恋心を抱きながら、彼の暴走を止めようとする役どころである。二人の関係も切なくて泣かせる。

 このドラマはやり過ぎた復讐劇というべきドラマだが、過剰になっていく情を誰も止められないという韓流の特徴を典型的に描いていると言えるだろう。情をすぐに面に出す人、出さずに秘めてしまう人、韓流ドラマの人物は、いずれも情の圧倒的な力に右往左往しながら生きている。この激しい情のドラマを、日本人はすでにあまり演じない。が、失っているわけではない。多くの日本人は、韓流ドラマに自分たちの情のドラマを再発見している、ということではなかろうか。

 
    落ちる間に開悟する雨滴あるや梅雨