久しぶりのブログ2017/07/14 22:17

 三ヶ月ぶりのブログである。こんなに空いたのは初めてではないか。とくに理由があるわけではないが、あいかわらず忙しいのだが、忙しいのは常のことなのでとくに理由というわけではない。あえて探せば、ブログを書く手間の優先順位が自分の中で低くなってきたということだが、それとて、なぜと聞かれるとうまく答えられない。

 たぶんに、文章を書いて他者に発信するその力が衰えてきたということか。ただ、文章を書くのは仕事だから、今年になって、何本かの論文やエッセイを書いている。ただそれらは、私ごとを書くまでもないので、思考や調べたことをそのまま記述すればいい。が、ブログは、近況報告もはいるので、この俺に報告することなんかあるか?などと考えてしまって、めんどくさいと、つい、優先順位が下がってしまったということだ。家に帰ると、奥さんととりあえず韓流のドラマ(忙しいとながら見)、授業の準備、原稿の仕事があればその仕事、それから読書、疲れやすいのでしっかり睡眠を取らなくてはと夜更かしを避ける。最近、仕事に差し支えるのと健康上の理由とで、家で酒を飲むのを止めた。そんなこんなでブログを書く暇はない。他人に報告する暇はないということだ。

 これは、自分が内向きになっていることの兆候と言えないこともない。ただ60代後半という年齢を考えれば、この内向きはある程度自然なことなのかとも思える。仕事でそれなりに人と付き合っているし、仕事以外の付き合いも、以前に比べれば減ってきてはいるが、ないわけではない。ただ、そういった付き合いや、文章を書いて発信することに、以前ほど集中出来なくなってきているのは、年齢から来る衰えと呼応するように、世の中(広い意味での他者)がどうなろうと、もういいのでは(しったこっちゃないということ)、という心になって来ているからかなとも思える。

 老人性なんとかと言えるのかも知れないが、いろいろと体験し、本を読み、世の中に翻弄されてきた我が身として、今、発信され続けている世の中を憂える言説に響いてくるものがほとんどないし、またない理由もわかっている気がするので、なるようにしかならないのかとつい思ってしまうのだ。世の中への関心がないわけではない。自分の思想が世界を変える、などととんがって夢見る自分しか見てない若者的位置から限りなく遠く離れてしまうのが老人なのだとすれば、まあ、こんなものだろうとは思うし、それが老人であることの特権ということでもあろう。まだ老人と思っているわけではないが、その特権だけは享受している気がする。

 定年までまだ2年半あるので、とりあえずは頑張らねば。出版助成の申請をしたので、それが通れば、来年には歌垣の本を出す予定。歌垣からどれだけの世界が語れるか、単なる調査記録にはしたくないので、こうご期待といったところだ。

 この夏には、雲南大学で、国際学術シンポジウムがありそれに参加の予定。最近昆明に行ってないので楽しみではある。問題は発表のネタをどうするかだが、ナシ族の「祭署」儀礼と、日本の夜刀神の話などを比較して、環境を巡る自然と人間の関係について話をすることにした。今の中国で環境問題は大きなテーマだから、関心は持たれるだろう。

 毎日酷暑で私もバテ気味だ。というよりバテた。こいうときは、スカッとするエンタメ系の本を読んで、よく寝るのが一番だ。忙しいときほど、エンタメ系の本をよく読む。そのうち紹介したい。