宮台真司を読んで選挙について考えた2014/12/11 00:49

 選挙が近いが、学会のシンポジウムも近い。シンポジウムでは中国から三人招待し、一人は研究者で発表、一人は宗教者で儀礼をやってもらう。いろいろ準備が大変だったが、なんとかここまでこぎつけた。上手くいくといいのだが。

 シンポジウムは13日、14日は研究者でわれわれが世話になっている先生の誕生会を兼ねた歓迎会。選挙の日でもある。私はあまり選挙にはいかないのだが、こんどばかりは行かざるを得ないだろう。アベノミクスへのの反対票は投じておくべきだと思うからだ。アベノミクスは、格差を生むだけで、ごく一部の経済利益享受者と多数の経済弱者を固定化するだけの政策であることはすでに自明なことなのに、経済成長という幻想に、固定化される経済弱者が惑わされてアベノミクスに票を投じるという、この構造を変えないと、弱者が自分で自分の首を絞める選挙になってしまう。が、与党の圧倒的優位は変わりそうにもない情勢では、経済弱者が増えていくばかりの世の中になりそうだ。

 野党が対抗できないのは、経済成長路線への未練を棄てきれないからだ。徹底して、定常型経済モデルと、低成長経済でも維持できる福祉モデルとを構想して政策論争に持ちかけるべきなのに、どの政党も、アベノミクスは成功していないとか、官僚依存であるとか、国家主義への批判、反原発といったものばかりで、選挙の論点になっていない。当然で、それらは自民党内でも主張されている議論だからで、小泉元首相の息子が首相になったら、たぶん、今野党がいっていることは全部自民党の主張になるだろう。自民党支持者は、とりあえずアベノミクスに期待をかけ、それがだめなら、次は小泉の息子に賭けてみる、くらいには思っているのだ。自民党強しである。

 問題は、大多数の経済弱者に、与党の路線は自分の首を絞めることになるばかりだと知らしめることができるかどうかだが、それは実は最も困難なのだ。というのも、これは、いわゆる、ポピュリズムの問題であって、選挙においては、経済への不安は、経済成長というわかりやすいスローガンによってしか解消しない、という原理が働くということである。だから選挙では、経済成長しないでも人々が幸福にいきられる政策とは何か、といった矛盾した困難さに満ちたスローガンは支持されない。わかりにくいからだが、しかし、もう、そのわかりにくさに国民レベルで向き合って受けとめていかないとだめなところへ来ているのも確かである。が、今の議員選挙方式では、スローガン選挙になるだけで、そのような問題に国民が関心を持つことはほとんどない。ほんとうにどうなっていくのやら、である。

 宮台真司の『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』は、こういった問題について、実に具体的に説明してくれるありがたい本である。漠然と感じていた政治や経済が抱える問題について、その原因やその対処について具体的に言葉を与えてくれる、インデックスのような本である。その実に細かな分析に驚きながら、かなり今の世の中を言葉で整理できるようになった。ただ、読み終わると歳のせいですぐにその言葉を忘れてしまうのだが。とりあえず、選挙について書いてみたのは、宮台真司の本を読んで、経済や政治についての関心を引き起こされたからでもあるが、言葉を忘れる前に書いておいて忘れないようにするという、惚け防止にもなっている。悲しい話であるが。

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