『海賊と呼ばれた男』は古典的経済論か2013/09/21 00:18

 今日は大腸検査。とりあえず小さなポリープはあったが、問題はなさそうとのこと。毎年やっているが、いつも検査結果は同じである。新聞に、大腸検査をしている人としていない人との大腸癌の割合にかなり差がでるという記事が出ていた。検査は大変だが、やっておくべきだということか。

 来週の授業の準備で時間が足りない。月曜から「環境文化論」という新しい講義を始める。これは環境という視点から神社について考察するというもの。とりあえず、最初は、「鎮守の森」から入ることに。鎮守の森については、最近上田正昭が何冊か本を出している。歴史的視点からだが、日本史の資料としては使える。植物学の方からは、宮脇昭の本が詳しい。この人の樹木の生態学の本『鎮守の森』(新潮文庫)はオススメ。森の生態がよくわかる。それから、安田嘉憲もまた「森の文明」の復活を説いている。本を何冊も出している。これらに加えて、中尾佐助、佐々木高明の「照葉樹林文化論」と、縄文時代についての本を何冊かと、にわか勉強である。ただ、いきなり「鎮守の森」の説明だと難しいので、「となりのトトロ」のトトロが住む神社のオオクスノキの説明から入ることにした。トトロは鎮守の森に住んでいるのである。

 環境論の授業を一つつくらなきゃならくなって、結局、神社を環境論で論じられるだろうということで私が担当することになった。実は、私の師匠である平野仁啓は『古代日本人の精神構造』という本の中で「神社の生態学」を論じていて、その師匠の仕事を、私も受け継ぐことになつたというわけだ。師匠に感謝である。

 さて、古本市の読書だが、百田尚樹『海賊と呼ばれた男』上下巻を読んだ。百田の本は『永遠の0』も読んだが、この本では不覚に落涙。特攻隊物は、批判的に読んでもやはり感情移入してしまう。が、「海賊と呼ばれた男」は、確かに面白いが、近代日本の発展をあまりに褒めちぎる内容に少々うんざりするところもあった。まあ、モデルが出光左三なのだから仕方がないだろう。近代国家の官僚主義と戦って日本の石油産業を興した成功譚だから、失われた20年ずっと落ち込んでいた日本人を元気づけたということだろう。

 ただ、私が面白かったのは、この本に書かれている出光左三の経済への考え方である。会社は家族共同体だから、出勤簿はない、リストラはしない、定年もない。むろん組合もない。その代わり従業員は会社のためにそれこそ滅私奉公する。また、金を儲けるために商売はしない。この経営理念は、資本主義的理念とは違う。企業の経済活動は、国家とか、共同体とか、あるいは国民、家族と言ってもいいが、そういったものの幸福のためにある、という理念である。企業を家族共同体とするのは日本的だとしても、経済活動を利潤の追求ではなく広く社会のためにあるとするのは、言わば、古典的な経済理念である。

 例えばアダムスミスの「国富論」も経済活動をそのようにとらえているところがある。が、実際の資本主義は、利潤追求のためのあくなき運動としてある。それは、近代日本においても同じだった。そういうある意味での強欲な利潤追求の資本主義の中で、理想主義的経済活動を貫いて、しかも成功させた、という希有な例を描いた小説なのだということである。出光興産がほんとにそのような企業なのかどうかはわからない。あくまでもフィクションなのだとしても、この本が人々に受け入れられたのは実は、資本主義とは違う経済活動を描いたところにあるだろう。

これも最近読んだ本だが、佐伯啓思『貨幣と欲望 資本主義の精神解剖学』には、資本主義が発展していく契機として、「不安」があるのだと言っている。その「不安」とは、例えば、故郷を持たない不安だという。資本主義を発展させたのはユダヤ人だが、ユダヤ人はアイデンティティとしての故郷を持たなかった。その不安を解消するために貨幣という価値を追求せざるを得なかったという。この不安は現代人のアイデンティティの崩壊という不安と重なる。貨幣はその不安を一時的に埋めるがさらなる不安を生み出す。その悪循環の上に、現在の資本主義が成り立つ。この資本主義からどうやって脱するの。それが、現在の世界の課題であろうが、利潤の追求自体を目的にしない経済活動の構築は、今いろんな風に説かれているところだ。ある意味で、『海賊と呼ばれた日本人』もそのように読めないことはない。だから売れているのだろうが、実は、そこに錯覚がある。

 この本の主人公のアイデンティティは、近代日本の国民国家の自立である。彼が利潤追求を目的にしない理想的経済活動が出来たのは、近代日本の発展に尽くす、というアイデンティファイを疑わなかったからだ。それは欧米に負けない近代国家を作ることである。そのためには、中国の植民地化について疑念を持つことは全くなかった。主人公は人間を大事にする人だから中国人にも優しかったが、日本が満州で成功することを夢見た人間でもあったのである。この本からは、近代日本の暗い部分は出てこない。出て来たら安倍首相も感動したとは言わなかったろう。本屋大賞にも選ばれなかったろう。

 その意味では、売れるように計算された書かれた本だということだが、ただ、出光左三の経営は、その理想を、国家というような大きな物語に据えるのではなく、社員や地域の人々の生活のためといった経済活動として把握出来ないこともない。そう読めば、利潤優先のために経費のかかる放射能処理を先送りする東電の社長にこの本を読め、という気になるだろう。資本主義の行く末を少しは考えさせるという意味で、この本なかなか面白かった。