交渉の国、中国から帰国2013/09/06 23:22

 五日に帰国。成田で咽が痛かったのだが、家について風邪をひいたらしいことがわかる。それから具合が悪い。疲労と飛行機の冷房がよくなかったのか。仕事は山のようにあるのに困ったことである。月曜から仕事だというのに、それまで何も出来そうにもない。

 今回の中国調査、私の主要な目的の一つは「署神」にかかわる幾つかのナシ族のトンパ経典を、日本語に訳する許可をもらうことだった。ナシ族の研究学院の院長に会って交渉し、ようやくその権利を得る事が出来た。ことは著作権に関わることで、幾分かの著作権料を払うことで合意し、契約書も交わした。当初電話一本ですむだろうと思っていたのだが、やはり、こちらがどういう目的で、どういう雑誌に載せようとしているのか、直にあって話さないと信用してもらえないということだ。部分的だが、トンパ経典を訳す権利を得たのは私が初めてで、研究学院側も初めてのことなので、著作権料をいくらにするのか、とういう契約書を交わしたらいいのか、双方ともよくわからなかったが、相談しながら何とか契約を交わすことが出来た。

 著作権料も向こうの出してきた金額が余りに高いので交渉で下げてもらったが、向こうも初めてのことで、いくらにしたらいいかわからないということだった。私としては、今後経典を外国語に訳す動きが起きるだろうが、その時の著作権料の目安が私との契約の金額になってしまう。余り高くしてしまうと、トンパ経典が納西族文化として広く世界に知られる機会を奪いかねない。妥当なところで金額をきめなければという思いもあった。中国は何でも交渉次第で物事が決まる国だから、著作権の金額もまた相手の言い値を素直に聞いてはいけないのである。

 中国の大学に留学した日本の学生が、中国の大学事務局に、授業料が高いので交渉したら安くなったという話しを聞いたことがある。むろん、稀なケースであろうが、納得してしまうのである。

 交渉で物事を進めていくのは日本人の苦手な分野である。私の場合も、中国人の通訳のTさんの助けで交渉できたようなもので、こんども日本人だけだったら、なかなか上手くいかなかったろう。

 今回も、少数民族の歌の歌詞を中国語に訳してもらうよう、地元の知識人と交渉したが、値段の折り合いがつかず結局断念したというケースがあった。むろん、断念した理由は、相手の言い値が相場をはるかに超えた金額だからだった。ただ、普通は交渉になるのだが、余りにその金額がかけ離れたものになると、交渉に持ち込む前に、信頼関係を築けないという判断が働いてしまう。すると、もうこの人と一緒にやっていくのは無理ではないか、という判断になってしまう。これは、互いに同じことで、例えばこちらの出す金額があまりにかけはなれたものになると、やはり信用されないということになる。その意味で、最初に双方が折り合いのつける金額を出すことも重要である。

 やはり相互の信頼を構築することも求められるのだ。ものを言うのは、その仕事に対する真面目さや誠実さといった姿勢を通して、金銭的価値観を超えた普遍的なものを共有しようとしているのだというメッセージが伝えられるかどうかで、それが少しも伝わらないか、互いに感じられないと、ただの、金銭の交渉になってしまって、つまらない交渉になってしまう。関係も長続きしなくなる。

 むろん、相手が普通の生活者で、好意で取材者に歌ってくれるとしても、なにがしかの礼金を払う。それでも、その礼金の金額の価値を超えた大事なものを共有したくて、私たちは今この取材をしているのだというメッセージが届かないと、たいていはその取材は失敗なのである。何故ならそこに信頼関係が築けないからだ。むろん、金銭というお礼をしないで信頼関係を築くことは難しいが、それだけでもまた難しいのである。

 中国人はこの信頼関係を築くことをとても大事にするところがある。何事も交渉なのは、その交渉が信頼関係を築く一つの方法だという理解があるからだろう。これは、異なる価値観を持つ異民族同士の人々が一緒に生きていくなかで身につける文化でもあろう。日本人が交渉の下手なのは、信頼獲得のプロセスを、金額交渉や、あからさまな言葉のやりとりで構築していく文化がないからである。

 例えば日本人がある金額を相手に払う条件で中国人を雇う場合、最初に、契約の金額以外の謝礼を出すとは言わないで、最後に契約の金額を払う時に、これは気持ちです、といって金額を上乗せする場合が多い。そのほうが結果的に相手との信頼が得られると思うからだ。ところが、これが逆効果になる場合が多い。つまり、あいては、最初の金額で相手との信頼関係はこんなものだと理解し、その仕事そのものをいい加減にやり、その結果、「気持ち」を渡す前に信頼関係が壊れてしまうというケースがあるのである。

 中国で何年も調査もやり、交渉も経験してきて、私もいろいろと分かってきたことがあるのである。