中間の物語2012/11/20 23:27

 11月はほとんど休みなしである。先週は、土曜は柳田国男の研究会で五反田へ。駅前ホテルの会議室で座談会である。ホテルに行ったら何とMさんとばったり。Mさんは大学の雑務でホテルに泊まり込みだそうである。そうか、この近くの大学に勤めているのだった。今年は古事記1300年で忙しいでしょうというと頷いていた。

 座談会は私が問題提起の役回りで、事前に話す内容を文章にして送ったおいた。現代社会における民俗学の可能性について議論しそれを活字にする、ということであるそうだ。この研究会、最後の会合だそうで、私はその最後にお邪魔したという格好になった。私の話したことは、「大きな物語」でもなく、「小さな物語」でもなく「中間の物語」が必要ではないか、というもの。宇野常寛が「中間共同体」が必要と言っているのを受けて、「中間の物語」にしたのだ。つまり、新しい公共性の構築が現在の課題である、とすれば、その公共性に対応する物語が必要ではないか。それが中間ということだが、具体的なイメージはない。

 ということで、この座談会、ほとんど雲をつかむような議論に終始したが、でも、それなりに面白かった。民俗学は、言わば古い村落共同体の公共性を研究対象とするところがある。その公共性からどういう知恵を引き出すのか、というのが民俗学の仕事みたいなところがある。私が例として出したのは、江戸次第の農村で行われていた盟神探湯の例である。例えば、村の境界争いが起こったとき、その是非を神判裁判で決着させるというもので、その代表的な例が、盟神探湯である。盟神探湯は熱い湯に手を入れてやけどしたら罪を受けるというものだが、鉄火裁判というのもある。鉄火裁判とは、真っ赤に焼けた鉄を争っている各村の代表に手に乗せ、やけどした方が負け、というものである。負けた村の代表は処刑されたそうである。

 これらの神判は江戸時代末期まで行われていた。川崎に鉄火碑が残っていて、実際に行われていたことがわかる。こういうのも公共性であり、共同体の知恵である。公共性というのは、ピンキリにいろいろあるのである。むろん、このような神判による裁定もまた一つの知恵であり、更新次第では、新しい公共性にとっての知恵になり得るかも知れないが、何とも言えない。ただ、文化は流動的である、ということは言えるだろう。

 日曜日は、公募制推薦入試。我が学科はかなりの受験者減である。推薦で学生の数を確保する他ない。しかし、かつてはこんなもので、一般入試の受験生が圧倒的に多かったのだが、今は違う。短大は、何処でもそうだが、推薦で確保出来ないとだいたい定員割れする。今年度のわが学科がそうなった。

 入試のあとはまた研究会。今度はアジア民族文化学会のなかの研究会。大学の科研費で作製している研究報告のまとめの作業である。この報告のために11月に入って私も何とか原稿40枚ほど書いた。少しほっとしたが、某学会へ提出する原稿が一本残っている。こちらは何とか今月中に書き上げる予定である。

 今週は、今度の日曜が推薦入試。風邪を引かずに乗り切らなくては。

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