柄谷はあせってないか2012/08/10 23:31

 山小屋に来ていろいろと雑務やら論文の資料調べなどして過ごす。やはり涼しくて助かる。立秋を過ぎて気温がぐんと低くなり、夜は長袖でないと過ごせないほどになった。別荘地のある老婦人とたまたま知り合いになったが、その人の旦那さんは某大学で経済を専攻している先生で、定年前の65歳で退職し悠々自適の生活を送っている、という。身体もとても元気になったそうだ。奥さんからあなたも考えたらと言われたが、無理だろうなあ。雑務だけが仕事ではない。研究の方もやはり勤めていないと出来ないことがある。大学というのは、やはり研究機関でもある。そこがありがたいところだ。

 蓼科の別荘に夏の間住んでいる恩師夫妻に挨拶にうかがう。もう八十歳近い年齢だが、とても元気だ。敷地内から湧き水がでるので、水路を作り滝まで作って道路に流す工事をしたという。庭にいろいろと植物を植えていたが鹿にほとんど食べられてしまったと嘆いていた。寒くなると伊豆のほうに移り暑くなると蓼科に来る。うらやましい生活である。ただ、最近は、寒さがこたえるようになり、伊豆にいる期間がだんだん長くなってきたという。私どもが目指すリタイア後の生活だが、ただ私たちにはそんな生活を送る財力がない。

 来週から中国である。明日に東京に戻り準備をして月曜に出発。七泊八日の短い調査である。去年やり残したことや新たに見つかった課題の調査だが、今年の九月には報告書の論文等を出さなきゃならないので、その確認という意味合いもある。本当は論文を書かなきゃならないので行っている暇はないのだが、やはり現地確認の必要が出て来た。その現地が中国の奥地だから大変なのである。一泊二日で行けるところではないのだ。

 今週はあまりスキャン読書はしなかったが、それでも何冊か読んだ。カルロス・ルイス・サフォン『風の影』上・下巻(集英社文庫)、誉田哲也『ヒトリシズカ』(二葉文庫)、柄谷行人『「世界史の構造」を読む』これはまだ途中まで。

 『風の影』は世界で1300万部売れている、というので読んでみたが、確かに面白かった。★★★★(面白い。おすすめ)である。ミステリーものと言ってもいいのだろうが、昔読んだ『ジェーン・エア』のような作品を思い起こさせる。19世紀ロマネスク風小説のにおいがするが、作者もそういう狙いで書いているようだ。スペイン内戦後の時代、古本屋を舞台にしている。とにかく、私の好きそうな舞台装置がほぼそろっている。久しぶりに読んだ面白い本であった。

 『ヒトリシズカ』はやや甘めで★★★(まあまあ。すすめるほどではない)。本屋の棚に売れている文庫だったの読んでみたが、期待したほどではない。ヒトリシズカの切なさがあまり伝わってこない。警察官の人間像や警察内の人間関係は姫川玲子シリーズでおなじみで面白いのだが、主人公が狙いほどには浮かび上がってこない。むろん、あえて直接描写しないで主人公の生の凄惨さや切なさを浮き彫りにする手法をとったようだが、成功しているとは言いがたい。やや軽めの文体の問題があるようだ。

 柄谷の『「世界史の構造」を読む』は、自著『世界史の構造』の自らの解説であり、また対談集である。全部読んだわけではないがほぼ理解できた。最後まで読まなくてもいいのではと思ったので★★★。

 私は柄谷の行っているD段階(贈与交換の新しいバージョンシステムに世界はすすむべきだという理想論)に世界は進むべきだという考え方に共感している。が、ちょっと大丈夫かなと思うところもある。それは、D段階にすすむ方法論があまりに理想主義過ぎるのだ。

 例えば世界同時革命(懐かしい言葉です)でなければ意味はないと柄谷は言う。確かに、新しい交換システムとして世界は再構築されなければならないというのだから、一国革命ではだめで世界同時革命でないと意味はない。でも、どうやって世界同時革命になるの?

 昔、赤軍派は世界同時革命を唱えてよど号をハイジャックして北朝鮮に行き、重信房子はパレスチナに行った。理想と現実の違いを埋める戦略・戦術など考えずにである。柄谷は世界宗教の重要さを唱える。また、軍備を率先して捨て去る日本の憲法九条こそが世界にとって重要で、つまり、世界同時革命の突破口になり得る、という。

 理屈としてはわかるが、赤軍の時と同じで、そういう理想と現実を埋めていく戦略とか戦術があまりにもすっとばされているのではないか、そういう疑問がどうしても残る。というより、もう少し、社会の動きというものを見てからでも遅くはないのではないか。資本主義以降を世界が模索しているのは確かである。その模索をもう少し見つめる必要がある、と私などは思う。柄谷の主張は理想主義が突っ走っている分、原理主義的なにおいがある。

 例えば柄谷はアニミズムは地域の宗教であり、共同体を越えた交換を意味するD段階にふさわしくないという。だから世界宗教だと言うのだが、果たしてそうだろうか。アニミズムは確かに地域限定だが、世界の各地域に無数にある地域限定宗教である。この無数の地域限定宗教が世界性をどう持つのか、むしろ、こういう発想が今は必要なのではないか。ユダヤ教的な超越的な神による世界宗教を持ち出す柄谷はあせっているように見えて仕方がない。

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