ヒアアフターを観る2012/02/22 00:32

 ようやく忙しさも一段落というところか。ただ、新学期へのもろもろの準備で、毎日のように出校はしている。ほとんど会議ではあるが。いろんな委員をやっているものだから会議が多い。某学会の運営委員なるものもやっていて、月に一度はでなきゃいけない。土曜には研究会もある。ということで、じっくり本を読むという気分ではないが、この期間に本を読まないと、本を読む時がなくなる。

 四月からNHK文化センターで7回ほど講座を頼まれた。「日本史の中のシャーマニズム」というテーマで、その準備に今陰陽師関係の本をいろいろと読んでいるところなのだが、それとは関係なく『銃・病原菌・鉄』が文庫になったので、四月までに読もうと買ってある。それから、山崎正和『世界文明史の試み』も読もうと買ってある。絶対読むぞ。

 授業のパワーポイントに使用していた計量ノートパソコンが壊れてしまって、四月からの授業に使うために、新しいノートパソコンを探していた。今、ちょうど、11年の冬モデルから、12年の春モデルに切り替えの時期で、店頭では売れ残った冬モデルがかなりの値引きで売っている。メーカー希望価格14万円の富士通のノートパソコンが、現品限りで8万円で出ていた。となりにはほとんど同じ機能でただハードディスクがSSDとかいうのにかわっただけの春モデルが13万4千円である。新製品を買うかどうかかなり迷ったが、8万円の展示品の旧モデルを購入。仕方がない。仕事上の必要経費である。

 久しぶりにDVDを借りてきた。クリントイーストウッド監督の「ヒアアフター」を観る。「ヒアアフター」はあの世という意味。冒頭、インド洋を襲ったあの津波の場面から映画は始まる。津波に巻き込まれたフランスの女性ジャーナリストが、臨死体験を味わうが、それから仕事が出来ずに、ついに臨死体験の本を出版する。イギリスでは、双子の兄弟の話が展開。兄が交通事故で死に、母は薬物中毒で、少年は里子に出される。少年は兄の死から立ち直れない。アメリカでは、マット・デイモン演ずる霊能者が、その能力に悩まされている。彼の霊能力を知る兄は彼を利用して商売をしようと画策する。この三つの互いに無関係な物語が、最後に交錯し、一つの物語になる、というなかなか凝った脚本の映画である。

 特に面白かったのは、マット・デイモン演ずる霊能者が死者をおろす場面である。彼は客に、まず、親は病気だったか、イエスかノーで答えてくれと、というように語る。つまり、霊力で見えた世界を、一つ一つ問いという形にして相手に確認しながら、相手の信頼をつかみ、そうして核心に入っていくのである。実は、この方法は、日本のイタコも同じであり、私が調査した中国白族のシャーマンもまた同じである。彼は、映画の中で一貫して同じ語り口を繰り返す。シャーマンの語り口をよく勉強しているとそのことに感心をした。

 死後の世界をテーマにした映画は多いが、この映画はその中でも秀逸である。特に、死者と語ることが生者の救済になる、という死者おろしの基本的な社会的機能を忠実に再現しているという意味で、実にわかりやすいメッセージを持った映画である。物語としてもよく出来ていて、荒唐無稽にもなっていない。そのことは霊能者の描き方によく出ている。少年が死んだ兄をこの世におろしたくて、何人かのインチキな霊能者に会いに行く場面がある。彼らは、皆、死者おろしの伝統的な話形を使わない。本物の霊能者であるマットデイモンだけが、使う。そういうところがこの映画にリアリティを与えているのである。良い映画であった。かなり年老いたクリントイーストウッドが何故このような映画を撮ったのか、そのことに興味が惹かれた。

                        昨日から肌着一枚の冬を捨つ