餅つき2011/12/29 00:15

 23日に北川辺の友人宅で恒例の餅つきに参加。友人は塾を経営していて、この時期塾のイベントとして餅つきをやるのである。それに私たち夫婦や他の友人たちも参加するのが恒例になっている。この日は風が冷たく寒かった。ついた餅がすぐに冷えてしまう。

 私も餅をついたが、日頃の鍛錬のせいか?餅つきがうまいとほめられた。体力はないが、毎日腕立て伏せをやっているので筋力は幾分ある。要は要領で、餅つきは薪割と同じ。山小屋で薪割をしているのがこういう時に役立つ。薪割は斧に力を入れすぎるとうまく割れないしすぐに疲れてしまう。斧の重さを利用して振り下ろし、薪に当たる寸前で力を入れる。そうするとうまく割れるし疲れない。それから、上半身に力をいれない、腰と膝をうまく使う。この要領は餅つきも同じである。

 26日から山小屋へ来ている。今日も実は近所の山荘で餅つきがあって呼ばれ、餅をついたところうまいとほめられた。ただ体力がないので続かないのが困った者だが、私より年寄りばかりなので、それなりに重宝されたようだ。

 年賀状を印刷して投函。年賀状もだんだんと手抜きになってきて、去年の様式をそのまま使い中身だけ入れ替えた。今度のは、中国調査の報告みたいな年賀状。味も素っ気もない年賀状だが、自分が面白いと思ったことを年賀状使って報告するのも悪くはないだろう。予備校や大学短大で長年教えていると、それなりに教え子とのつきあいが生まれ、年賀状を通した消息のやりとりがずっと続いている教え子たちがけっこういる。こういう職業を始めてから、もう20年以上経つから、多くの教え子は、結婚して子どもが生まれ、年賀状にその子どもの写真が載せてある。毎年子どもが大きくなり、学校に通い始める。それを見ると、過ぎていく歳月というものを感じさせるが、しかし、こういう歳月の感じ方は心地よいものである。

 信州は寒い。空気はクリアで八つが岳がくっきり見える。正月は、教え子の家族が来るので山小屋は民宿状態になる。仕事が出来るのは、あと二、三日というところだ。三弥井書店から『歌の起源を探る 歌垣』が出た。私も編者の一人になっている。「アジアの歌掛け」という文章を書いている。歌垣の本としては、日本、アジアを含めたものになっているので、おすすめの本である。

                         歳重ね負けてなるかと餅を搗く