井上井月を見られず2011/11/26 00:37

 忙しい一週間だった。先週の金曜日に、某大学院の授業が終わると、そのまま茅野の山小屋に。冬の準備である。土曜は某学会の大会があるが、とにかく山小屋に行く暇が無いので、この日は大会をキャンセル。土曜は車にスタットレスタイヤを載せて諏訪のイエローハットに行って夏用タイヤとの交換。ついでにオイル交換も。夕方、東京へ帰る。

 日曜は、勤務校での推薦入試。この日も某学会の大会であるが、大会には行けず。推薦入試は今年は苦戦である。うちだけなのか、それとも他校もそうなのか気になることである。とにかく、今将来構想問題でもめているところなので、気になってしまう。

 入試のあと、大会へは行かず、自宅へ戻って、将来構想の改組案作り。25年から中国語コースを作る案を出したので、私がその細かな計画書の書類を作成しなくてはらないのである。とにかく、既存のコースのカリキュラム表を含めて全部作成する。夜遅くまでエクセルと格闘である。

 月曜は改組案の検討で夜の8時半まで会議。帰ってまた書類作り。火曜日は朝1限の授業。7時半に出勤である。この日だけは、通勤ラッシュで満員の小田急に乗らなくてはならない。学生もまた同じである。私より学生の方がつらいだろうと思う。一限の授業が終わるとすぐに会議。昼に学生と面談。悩みをいろいろと聞く。地方から出てきて寮暮らしのの学生である。寝られないので朝起きられず欠席がちだという。とにかく散歩など身体を動かしてて身体を疲れさせたほうがいい。疲れていないと心配事ばかりで頭がいっぱいになる。これは自分もそうしているから。

 2時にある雑誌の編集者が来て「鬼」についてのインタビュー。1時間の予定であったが、2時間近くいろいろとしゃべってしまった。鬼(おに)は、見えない世界の何かがこちら側に異形のものとして現れてくる、そのモノを言う、と定義。その現れ方は実に多様で、死霊、妖怪、あるいは来訪神、雷神であったりもする。また怨念の現れたもの。

 現代にもう鬼はいないかと質問される。抑圧された情念が外側にオニとして噴出するようなそういう時代じゃないのでは。でも、抑圧は無くなったわけではない。問題はその抑圧を対象化できなくなっているだけだ。だから、対象化するためには新しい鬼を見いださないといけないのじゃないか、としゃべったらこれが受けた。鬼の知識じゃなくこういう話が聞きたかったのだと了解。

 実は、このインタビューが終わったら、茅野へ行って、水曜日に、伊那の映画館に井上井月(いいのうえせいげつ)の映画を奥さんや茅野の知り合い達と行く予定だった。この映画はアジア民族文化学会の会員で、ビジュアルフォークロアの北村皆雄が監督した作品である。幕末から明治にかけて、伊那をさすらった俳人のドキュメンタリー映画である。演じているのは、田中泯。ナレーションは樹木 希林。それ以外は地元の人たちが演じている。この映画みたかったのだが、なにせ、上映場所が伊那である。私は、改組の資料作りがあってとてもじゃないがいけない。断念して奥さんだけが行くことになった。

 その夜は某学会の委員会。終わってから飲み会になり、真夜中に帰宅。次の日の水曜は一日資料作り。木曜は、改組案を提出する教授会。何とか承認され、あとは理事会で、という手続きになる。どういうことになるやら。そして、今日は某大学院の授業と、ようやく一週間が経った。それにしても井上井月の映画見たかった…。残念。

                         井月がとぼとぼとゆく伊那の秋