後味の悪さ2011/09/13 00:19

九月だというのに暑い。山小屋にしばらくいたが、11日に帰ってきた。帰りたくはなかったが明日から会議。校務は続くだ。

 山小屋では、天気もよく快適だったが、仕事もあってのんびりというわけにもいかなかった。18日に京都で遠野物語の研究会がある。ここんとこ毎年やっているが、さすがに、ネタ切れで何を発表したらいいか悩んでいる。

 11月の学会シンポジウムの準備で、ナシ族の署の儀礼の経典を訳しているが、これがはかどらない。私の中国語の知識のなさが理由だが、経典というのは、なかなか訳しにくい。世界で唯一使用されている象形文字であるトンパ文字を漢訳してある経典で、その漢語を日本語に訳すのだが、全体の意味がうまく通らない。個々の場面の意味はそれなりにわかっても、全体として何をいっているのかわからないところが多い。経典てこういうものなのだろうと思うが、なかなか手強い。

 今政治では大臣が失言で辞任ということが話題になっている。どうもこの辞任劇、何となくすっきりしない。言葉にかかわる職業に就いている私としては、特にすっきりしない。放射能で汚染され誰もいなくなった悲惨な町を「死の町」とたとえたことが被災者を傷つけたという。これはたとえの表現だ。大臣は、悲惨な様子を、ややショッキングな言い方でたとえ、悲惨さを強調することで、早くこの悲惨な状況を改善しなければ、という流れで発言したのであろう。

 ところが「死の町」の言葉だけが取り出され、不用意だと責め立てられた。それじゃ、当たり障りのないことばでたとえた方がよかったのか。世間が注目するややショッキングな言葉でたとえることは、よくあることだ。そのほうが日本中に悲惨さが伝わり、復興への準備も促進しやすい。だが、当たり障りの無いことばで形容すれば、福島の放射能汚染地域の現状を誰も日常の光景のように聞き流す。そのように聞き流さないようにするために「死の町」という形容があったとすれば、むしろ、「死の町」は被災者にとって復興を促す戦略的なことばであったはずだ。考えてみれば、そんな当然のことをいっさい無視して、忌み言葉を発したというように騒ぎ立てる。これは、明らかな揚げ足取りであって、政局を作り出したい意図よって、政治的に「ことば」が利用されたのだと思われる。

 また「放射能をつけてやる」は明らかに、記者の意図的なリークである。たぶん気の緩んだ大臣が記者達にふざけたのだろうが、そのとき記者達はそのことばを問題視しなかった。よくある冗談のように受け取ったらしい。いわゆるオフレコである。だから、次の日に記者たちは、その発言を公にはしなかった。ここまではごく常識的な対応である。ところが、「死の町」発言が話題になると、大臣を責め立てようという機運がメディアに拡がり、そういえばあんなことを言っていたとこの「放射能をつけてやる」発言が、記者達によって思い起こされ、公にされたということのようだ。インターネットのメディア批判に、各大手新聞のこの発言の言葉が、みんな異なっていることをとりあげ、誰も正確に記憶していない言葉をとりあげて、大臣を辞めさせる記事を書くのはひどすぎる、これは記者の捏造だと批判していた。

 フジテレビのニュースワイドショーコメンテーター(確かニューズウィーク日本版の編集長だった竹田氏)も、この辞任劇はあきらかに日本のメディアに問題がある。メディアが政局を作りだしている、と批判していた。

 大臣の資質云々という言い方がされているが、その前に、私的な場での気の緩んだ冗談を、個人の資質のなさのように公のメディアに載せてしまう記者たちの資質も問題にされるべきだろう。大臣の資質がどうなのか私は知らない。フジテレビに出ていたコメンテーターの話によれば、国会議員の中では、福島の被災地にとてもよく足を運んで熱心に救援活動している人だった、ということである。

 大臣としての資質とは、仕事をしてもらってから判断しても遅くはないだろう。こんな言葉狩りのようなやり方で、資質がないと言われたら、たまったものではない。言葉尻をとらえてこの言葉はこのように解釈出来るから、あなたは人間として失格だとか、そのうち寝言まで録音されて、資質がないと糾弾される社会になってしまうのだろうか。

 むろん、公の場での許されない失言というものはあるだろう。が、今回は、どうも、その許されなさを、本人ではなく、メディア側が作り上げたところがある。いいかえれば、それは権力というものの怖さでもある。かつて権力による粛正は、ほとんど言葉尻を捉えて行われた。言葉は受け取り次第でどのようにも解釈され得るものだ。権力は、それを利用して、気に入らない者を弾圧する。弾圧の常套手段である。今回はメディアが権力を行使しているようで嫌な気分である。とにかく、今度の辞任劇に、私は嫌な社会になってしまうような後味の悪さを感じたのである。