秋田から帰る2010/10/22 23:55

 秋田から帰る。秋田市には初めて行った。二泊三日だが、駅前のホテルと評価に訪れる学校との往復である。観光どころではないので、秋田がどういうところか味わう暇がなかった。新幹線で東京から四時間。行き帰りほとんど寝ていたので車窓を眺める、ということもなかった。

 仕事は何とか無事終了。私の役割をそれなりに果たしたのではないか、ということで安堵。ただ、報告書を書かなきゃいけない。これからそれで大変。

 秋田の街は普通の地方都市でどこも同じだという印象。学校は郊外にあったが、郊外の風景もほとんど全国同じで、紳士服とか靴とかその他いろんな全国展開の量販店が同じようにある。地方都市に来たなあ、と感じたのは、学校の校舎から遠くに男鹿半島と海がみえた時である。この時、この学校いいところにあるなあと感じた。ただ、それだけ郊外にあるということで、そのことは、学生集めに苦労する要因になる。今時、どこの大学でもそうだが、良い環境に位置するということは不利なのである。それは交通の便が悪いということを意味するからだ。

 人・モノ・情報の効率的に集まるところが、結局は文化の中心地になってくる。大学の立地も、今はそういった環境の近くを求めつつある。大学が都市の中心に回帰しつつあるのだ。知識を習得し教養を身につけることは、静かに思索にふけるに適した環境ではなくて、膨大な情報が瞬時に手に入り、それを生かせるような人と人とが集まる場所でないとだめなのだ。現代のネット社会における知識の習得とは、情報の処理であって、情報化ではないと、養老孟司がテレビで言っていたが、それは大学の環境にもあてはまる。情報化とは、身体的な知覚で得られた情報を、抽象化して頭の中にインプットする作業。この作業は多少時間がかかるので静かな方がいい。情報の処理とは、瞬時の整理であって、静かな環境である必要はない。むしろ、大量の情報が集まる場所でないとこの作業は出来ない。

 その意味で、地方の大学は学生集めに苦戦するということになる。多くの若者は、情報化ではなく、情報処理のスピードを自分の能力として求めたがるからだ。都市の大学で学べば何となくそれが可能になるかのような気分になるのだろう。だが、都心の真ん中にある私の勤め先にそれなら学生が集まるのかというと、そんなこともない。都心は競争が激しいということがある。立地条件の良さだけでは生き残れないというのも、都心の大学の宿命なのである。

 そんなことを考えながら、東京に戻る。明日はアジア民族文化学会の大会である。実は、大会の準備をしてから出張に行ったのだが、その時懇親会の予約をいつもの中華料理店に入れておいた。ところが、E君から連絡があり、神保町の居酒屋から明日の予約は何名か問い合わせがあった、という。えっ、なんで、だれが予約したのだ、と聞くと、どうも夏休み前の研究会のときに、そこに飲みに行って秋の大会の懇親会を予約したらしく、その場に私もいたというのだ。まったく忘れていた。そのように言われても思い出せない。これはかなり歳のせいと言うべきなのか、ほんとうは私がその場にいなかったのか、でも最近物忘れが激しいから歳のせいだろう。とにかく、懇親会のダブルブッキングである。いつもの中華料理屋をキャンセルして、何とか解決。これからこういうことが増えそうである。

                      そぞろ寒わたしとわたしそれだけで