御柱に参加2010/05/05 10:48

 連休は山小屋で、というのは例年どおりだが、今年は御柱がある。山小屋のある別荘地は定住組が結構いて、一応北山地区の氏子ということになっている。北山は、本宮の四の柱が担当で、その柱を曳きに行っている人も多い。私たちは、上社の本宮の建て御柱に参加することにした。

 午後にたてるということなので、昼過ぎに出かけたのだが、まず駐車場が遠くて、本宮に20分ほど歩く。暑くてさすがに参った。本宮の四の柱は、神社の裏山に立てる。この場所は、一般の見物人は入れない。社務所の脇の階段を上っていくのだが、警備が出入りをチェックしていて、私たちはだめと言われた。北山の氏子ですと言っても、法被を着ていないので許してくれない。それで、中に入ってる知り合いに電話して、確認をとってもらうなどして何とか入れてもらえた。裏山は、確かにきつい斜面が多く、氏子以外の人が入ると危険ということなのだろう。逆に見物人が少ないので、じっくりと見ることができる。

 私は一の柱を見にきたのだが、知り合いがみんな四の柱の所にいるというので、四の柱を見ることになった。山から柱を大勢で曳いてきて、今日ここに立ててこの祭りが終わる。考えて見れば、とても単純で、大がかりな祭りである。とにかく人がいないと成立しない祭りだ。戦国時代、柱の曳きてである人たちが戦争にかり出され祭りができなくなるということがあり、戦争を中止して戻ってきたという話があるそうだ。

 木遣りや、ラッパをふきならず楽隊も、戦争の進軍とよく似ている。基本は同じであろう。巨大な柱を曳き、それを立てるのだから、統制がとれていないと動かないしけが人もでる。一方、上品に曳いていたら柱は動かない。共同体の秩序と普段共同体から外れそうな荒ぶる連中がうまく一体化しなければならない。ある意味では、祭りとは、そうやって、共同体を活性化していく。その機能がこの祭りにはよく現れている。

 柱の上に若い者が鈴なりに乗り、柱はワイヤーで徐々にあげられていく。柱には足場が着いているので人は落ちることはない。垂直に立つと、中金子村の人たちがやってきて、柱の根本を固める神事を行う。これは中金子村衆の仕事である。

 柱が立って、神事が終わると、垂れ幕が掲げられ、フィナーレとなる。御柱の演歌が大ボリュームで流されたのには笑ってしまった。餅や景品が氏子の人たちにばらまかれて終わる。私は餅を拾うことができた。

 シンポジウムでは、聖樹信仰についてかなり話をした。柱は聖樹の変化した姿だが、山から切り離され里に引き出されるということは、実は山の神にとってはそれは不本意なはずだ。その不本意さをどう解決しているのか、というテーマでもあった。

 御柱の壮大な行列と群衆の力は、ある意味で、山の神への威嚇ではないか。むろん、山の神とのつながりを失っているわけではない。それを引きずりながら、山の神を従える、人の力の顕示、そこに、この祭りの意義があるようにも感じる。七年に一度繰り返すのは、そうしないと山の神に負けてしまうからである。コンクリートの柱を立てないのは、自然と断絶していないことを確認するためであり、自然に負けていないことを示すためであろう。その意味では、縄文以来の人と自然のつきあい方が、ここにはまだ残っている、ということなのではないか。

                         御柱名残惜しげな山の神

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