シンポジウム終わる2010/04/26 07:52

 昨日(土)・今日(日)と諏訪市博物館で御柱のシンポジウム。かなり盛況であった。二日間ともそれぞれ二〇〇名弱の入場者があったという。計7名の発表があり、日本の古代の資料から、中国少数民族、アジアの柱立て、そして諏訪の資料と、広範な話が展開したが、それぞれ資料と映像が充実していて、なかなかボリュームあるシンポジウムではなかったかと思う。

 コーディネーターをやり、発表もやり、司会もやりで、さすがに疲れた。それにしても、諏訪の人たちはなかなか熱心である。発表者は一般向けなどと意識して手を抜くようなことはしなかった。それなりに難しいテーマの発表もあったが、みなさん熱心に聞かれていた。

 諏訪の御柱は、K氏が力説していたように、アニミズム的な世界をかなり抱えこんでいる。一方、シンボル化された柱は、聖樹の代理物であるが、要するに聖樹の見立てである。人工物の柱を聖なるものとして見立てることで、自然樹の霊力をさらに強めることになる。ただし、この見立てのプロセスは、山から里への移動を伴う。この移動にはかなりの労力がかかる。したがってそれなりの権力がないとこの移動は実施できない。その意味では、そのプロセス自体は、新しい世の人の営みである。が、同時に柱そのものは聖樹の面影を引きずる。従って、柱そのものがその抱え込んだ人と神との関係の多義的なありかたが、単一的なものに整理されずに残っている。そこが、御柱祭りのおもしろさであろう。

 このシンポジウムのために中国から張先生に来てもらい、佤族の木鼓とそれに付随する首狩りの話をしてもらった。面白かったのは、樹を切るときに樹に謝ることである。そして首を供えるからと神に約束する。樹と人とが命をかけて取引する様子がよくわかる。一方、神の側に属する樹をこの世に移動させる時には、様々な悪い霊も引き寄せる。佤族では鉄砲を樹にめがけて撃つという。これがなかなかすごい。一本、御柱では、薙鎌を柱に打ちこむが、これは樹の払いの儀礼で、鉄砲を撃つのと同じ意味であろう。ただ、御柱では、樹に謝るというのは無いようである。

 それから、古い御柱はどうなるのか、という話も出てきて面白かった。ふるい御柱は八龍社に引き取られる。御柱の死である。が、実はそれは再生の儀礼でもあるということも話に出た。いろんな発見があってとても有意義なシンポジウムであった。

                          樹の神を論議尽くして春になる

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