明日は卒業式2010/03/15 00:13

 今年の入試が終わった。私の学科はどうやら定員ぎりぎりというところだ。原因は、いろいろあるが、たぶん去年の一般入試の倍率が3倍だったことが響いている。短大で3倍なんてあり得ない数字である。今年は、やはり、世間の短大並みの倍率、つまり1倍ちょっとに戻ったということである。

 相変わらず毎日のように出校しているが、今日教授会があって、私が司会であったが、これが最後の司会。ようやく肩の荷が下りたというところである。今年度最後ということで、退職なさる先生に挨拶していただいた。お一人は、47年つとめた女性。本学園が母校であるというから半世紀過ごしたということになる。女子大にはそういう先生がけっこういるのである。

 明日は卒業式。教員にとってはあわただしくそして寂しい日である。最近は、経済状況の厳しさもあって社会に送り出すことに一抹の不安を覚える。われわれが心配するまでもなく彼女たち自身は充分にうまくやっていくだろうとは思うのだが。ただ、なかには、誰かに頼りながらでもいいから、何とか普通に生きて行けよ、といいたくなる学生も少なからずいる。こういう気持ちにさせられるのが、現代的、ということなのだろう。心が少し不安定になっている学生も否応なしに卒業していく。社会は彼女たちをどう受け入れるのか、これもまた不安なのである。

 穂村弘本を何冊か読んでいる。実は16日に穂村氏と学会のメンバーとでシンポジウムの打ち合わせがある。私は穂村氏のファンであるので、こういう時に何を話していいかとても困る。それにしても、忙しい人がよく学会のシンポジウムに出てくれたものである。話題は定型のことになる。とても難しいテーマである。どんな風にも話せるし、同時に、どう話しても本質にはたどり着かないことがわかっているテーマである。定型ってこういう機能を持ってますよね、とか、こういうようにとらえたら面白いかも、とか、そんな話をくりかえすことになるだろうと思う。それでも、いいのではないか。どちらかというと私がメタ的に語り、穂村氏は体験的もしくは感覚的に語る、ということになろうか。噛み合わないとは思うが、この学会のシンポジウム、パネラー同士が噛み合うことはめったにないので、気が楽である。

                        紅梅や誰にも気づかれず咲く