研究室の引っ越し2010/03/11 00:03

 ここのところ毎日出校。研究室の引っ越しのためである。この四年間私は学科長室というところにいた。そこでほとんど仕事をしていて、私の研究室は倉庫代わりになっていた。だが、四月から、私は学科長でなくなるので自分の研究室に戻らなくてはならない。本や書類や四年間貯まったものを移動するのである。これがけっこう大変で、あと数日はかかる。何が大変かというと、四年間使わなかった研究室はあまりに雑然としていてそれにスペースがない。そこに、こちらの四年分を移すのは無理な話なのだが、移さないといけない。それが大変なのである。

 毎年確実に本は増えていく。研究書を買うことが研究をしている証明なので、教研費から本を買うのだが、置く場所がない。どうなることやらである。

 どうもわが学科の「日本文学」の人気がないので困っている。まあ以前から人気は無くなってきたのだが、今年がくんと落ちた。理由は、おそらく、就職には向いていなさそうだと思われていることのようだ。とにかく、今社会では就職できるか出来ないかが大きな関心事になっていて、それが、短大を直撃している。むろん、わが学科をもである。

 日本文学は、資格がとれるわけではない。最近創作も学べると売り出したのだが、これはある意味で就職と関係ないよ、とアピールしているようなもので、就職したいと切実に願っている受験生には、何の魅力もないようである。ただ、文章を書いたり文学好きな人たちが入ってはくる。問題は数が少ないということだ。こういう文学好きな少女はあまり就活には熱心ではない。就職率は上がらないので、たくさん来られても困る、というジレンマがある。

 来月の二つのシンポジウムの準備をしなきゃならないのだが、何となくその気にならなくて、ここんところちょっと古めの映画を借りてきて観ている。何作か観たが、面白かったのは「女はみんな生きている」、「リリィ はちみつ色の秘密」である。前者はフランス映画、後者はアメリカ映画だが両方ともミニシアター系の佳品。私は「リリィ」のような泣かせ系の感動的映画は苦手で、どちらかというと、ひょんなことから主婦が娼婦をギャングから助ける、という痛快な「女はみんな生きている」の方が好きだ。

 三月は、四月から始まる新年度の授業に向けての大切な準備期間で、遊んでしまうと四月からの授業が辛くなる。そう思いつつも、たいして準備もしないで過ごしている。新しい授業もあるのだが、どうも直前にならないと気分が乗らない。そうやって20年近く教員やっている。困ったものである。

                          三月や上書き保存繰り返す