伊豆高原で2010/03/04 00:45


 月曜、火曜と、二つのテキストの原稿を印刷所に渡して、一段落。とはいえ、二月末締め切りの短歌評論の原稿をまだ書いていない。今週中に書かないと行けないと思う。勝手に思っているだけだが。

 四月に穂村弘とシンポジウムをやるので彼の本をいくつか買ってきて読んでいるのだが、やっぱり、現代の歌人のなかで彼はとても優れた言葉への感受性を持っているとあらためて感心した。私は現代の若い人の短歌はほとんど彼の本から情報を引き出しているが、それで間違いはないと確信した。

 定型についても、彼は、一度定型によって自分を肯定しないと自分の居場所がなくなってしまうようで不安なる、という言い方をしている。これも、なかなかいい言葉だ。定型を秩序や制度に見立てて、それへの反発に自分の居場所を見いだす、という近代の典型的な定型論から自由になっている。

 今日は、伊豆高原に住むN先生を奥さんと訪ねる。実は私の還暦祝いにごちそうしてくれる、というので、出かけたというわけだ。河津桜が有名だが、もうだいぶ散り始めている。写真は大室山の河津桜。

 天気はまあまあだったが、まだ肌寒い。それでも、伊豆はこちらから比べれば暖かなところだ。山があり、海がある。久しぶりに伊豆の海沿いの道路を走り、気分が良かった。チビも連れて行ったのだが、車の窓から海を見ても感激はしない。風景としての海を見ても何の風景なのかわかっていないのだろう。

 N先生は、喜寿を過ぎた年齢だ(そういえばお祝いしなければ)。まだお元気で、同じ歳の旦那さんと、一年の半分は伊豆で、後の半分は蓼科で暮らしている。私もそうしたいところだが、仕事もあるし、そんなお金も余裕もない、というところだ。

 N先生は近代文学研究者だが、大学院の教え子(実は古代専攻の私も教え子の一人に入れてもらっている)のうちほとんど、13人が大学の教員になったと言う。この就職難の時代にたいしたものである。   

 伊豆高原の別荘地内にある和風旅館で食事。温泉にも入った。なかなか良い温泉であった。食事を終えて、東京に帰る。車で2時間とちょっと、家は用賀インターの近くなので、けっこう早く着いた。ほんとうに久しぶりに仕事をしないで一日を終える。何か良くないことをしている気がする。これがワーカホリックの良くないところである。

                 春来れば山せまるごとく人老ゆ