弔い2010/02/08 22:59

 先週の土曜日に、かつての同志連中と、去年不慮の死を遂げたMの家へ弔いに行った。場所は青梅線の軍畑という駅で降りて歩いて15分ほどのところにある。多摩川渓谷の橋を渡ってすぐのところで、とても景色の良いところだ。ただ、山間地なので午後には日がかげり、とても寒かった。

 Mは私と同じ歳で、学生運動の時からのつきあい。詩人としても知られていた。50位になってから演劇をやり初め、最近では映画などにちょい役で出ていたという。最近では映画「カムイ外伝」に出ていたらしい。かなりの酒飲みで、ある意味で無頼派を地でいっているというところがあった。普通の死に方はしないだろうと思ってはいたが、その通りになった。行きつけの飲み屋で酒を飲んでいて、騒いでいた客にうるさいと注意したら、相手が悪く、殴られてそのまま亡くなったのである。

 奥さんとは初対面である。こういう人の奥さんは大変だろうなと思った。でも、後でいろいろ話を聞くと、酒は彼にとっての表現の一つだと思ってあまり言わなかったが、それがあだになったかもしれないと悲しそうに語っていた。奥さんも私と同じ歳。うちの奥さんと大学が同じだということもわかった。

 彼の遺影に手向けをしてから皆で立川に出て、飲み会となった。40年前の頃のことが昨日のことのように話題になり、いやはやうるさい飲み会となった。これだからこの世代は嫌われるのだ。40年間いつも同じ話で盛り上がるのだから。まあ、私もその世代なのだが、私の場合は、声高に語るようなことをしていないのでいつもおとなしく聞いている方である。

 帰り私の靴がない。飲み屋ではよくあることである。先に帰った奴が私の靴を履いていってしまったらしい。千葉のSである。何年かに一度会うか合わないかの知り合いで、とりあえず最後に残った彼の靴を履いて帰ることにした。サイズは同じ、しかも私のよりかなり良い靴である。あいつは今頃困っていることだろう。

 日曜は入試で、朝から出校。受験者の数は去年から比べるとかなり少ない。去年が異常に多かったので、その揺り戻しが来た、というところだ。来年度に向けて、何か対策を考えないといけないようだ。まったく頭の痛い問題である。

 今日、ハイビジョンで里山の自然と人との関わりを描く番組をやっていて、思わず見入ってしまった。とにかく良いなあと思う。柳田国男が、こういう風景に日本人の故郷を見いだそうとしたのはわかる気がする。ある意味ではとても贅沢な風景であり生活だ。でも、こういう生活のあり方は、人間の揺るぎないスタンダードとしてあるのではないか。柳田はそう考えたのだろう。そのこともよくわかる気がする。

  黙々と弔いの列冴え返る