「グラン・トリノ」の話2009/10/17 00:30

 今週は、学園祭がるあということで、授業は水曜まで。木曜は振り替えの休講で、今日金曜は学園祭の準備。私も、読書室委員とともに学園祭の準備である。今年は、会場の教室が3号館に追いやられてしまった。たぶん客の入りは悪いだろうなあと思う。

 古本バザーと、読書室の本の展示がメインである。古本バザーは古本が思ったより集まった。かなり安くしてなるべく在庫を残さないようにしたい。売り上げはユニセフに寄付をするということになっている。去年は二万円ほど寄付をし感謝状をもらった。今年はいくらになるか。

 読書室の本の展示は、学生が読みたいような本が中心で、難しい学問の本はほとんど無い。小説や絵本が多い。それらを平積みに並べ、学生が書いた本の感想メモをメモスタンドにはさんで立てておく。最近本屋で店員のコメントがよく店頭に並んでいるが、あれである。これをたくさん林立させて、学生がどんな本をどのように読んでいるかを展示しようというものである。

 今日は展示の準備で朝から学生と一緒に奮闘した。本を台車で運んでいたとき、他学科の学科長とすれ違い挨拶したが、気付いてくれなかった。まさか文科の学科長が学園祭の準備で本を運んでいるとは思わなかったのだろう。ネクタイもしていなかったし。

 終わって、学生や手伝ってれた助手さんたちと近くのイタメシ屋で夕食。私はワインなどを飲み、少しの量だったが疲れていたせいか酔いが回った。でも気分良く帰る事が出来た。

 みんなで映画の話になり、私は最近見た映画の話をした。クリントイーストウッドの「グラン・トリノ」で、なかなか泣かせる良い映画だが、見方によっては微妙に問題を抱えた映画だと話した。落日の大国アメリカを象徴する、頑固で孤独な老人が主人公だ。朝鮮戦争でアジア人を殺しそのことに罪の意識を感じている。フォードで働き、フォードの30年前の車「グラン・トリノ」を毎日磨きそれを眺めながらビールを飲むのが唯一の楽しみである。息子たちとは折りが合わず、行儀の悪い孫たちにもうんざりしている。

 そんな老人の隣へ、アジアのモン族の一家が越してくる。モン族はラオス、ベトナム国境の少数民族で、ベトナム戦争の時にアメリカに協力し、ベトナム戦争後に多くがアメリカに亡命した。そのモン族が主人公の老人の住む町にたくさん移住してきているのだ。老人は差別主義者でモン族の連中が嫌いなのだが、隣の一家と次第に心を通わせていく。その一家の姉弟と親しくなる。ところが、彼らが同じ地区ののモン族の不良にねらわれ、老人が彼らを助ける。そこから、老人は、モン族の不良の若者と戦うはめになる。

 最後は、老人が隣のモン族の若者のために自らが犠牲となる。ラストが良く出来ていて涙、涙なのである。これは、大国アメリカが、マイノリティの民族のために犠牲を厭わずに戦うのだという、ひそかな政治的メッセージが隠されている、という意地の悪い見方もできないわけではない。ベトナム戦争への贖罪という見方も出来よう。が、逆に、アメリカ人のアメリカへの絶望がその良心の発露とともによく描かれたとも言える。こんな風にしかもはやアメリカは自分の良さを描けないのだ、ということだ。

 メッセージ性はどうあれ、最後に他人に希望を与えるために生きた一人の鼻持ちならない老人の物語、という内容通りの良い映画である。ちなみにモン族は、中国では苗族である。私が調査している民族の一つだ。苗族がこんな風にアメリカ映画に登場している、ということにも驚いた。ただ、私は、この手の最後に主人公が死ぬ映画は好きではない。良い映画ではあるが、粗筋をだいたい知っていたので、見るのは辛かった。でも、最後は感動し、見て良かったと思った。そういう映画である。

                       秋の夜孤独な老主人公死す