時間が戻る2009/07/12 00:49

 午後は学会の会議。来年の御柱祭りでシンポジウムをすることになり、具体的なスケジュール等の話をする。ほぼ骨格が固まってきた。わが学会(アジア民族文化学会)もすでに発足から9年経つが、それなりに形をなしてきたのではないかと思う。とにかく、研究テーマが次から次に出てくる。未踏の地を歩いてる雰囲気がまだ少し残っている。この雰囲気が残っているうちは、学会は潰れないだろうと思う。

 この会議に、病気でしばらく療養していた運営委員のお一人がしばらくぶりに顔を見せてくれた。やはり顔を見るとほっとするし嬉しくなる。元のように旺盛な研究活動を再開されることだろう。その日を心待ちにしたい。

 会のあと、イタメシ屋でちょっとビールを飲み、今後の事などを話したが、新野の盆踊りにまた行きたいね、という話になった。新野の盆踊りで、特に、先祖の霊を送る最後のところは、本当に祖霊が死霊であることを感じさせる。あれをもう一度見たいという話になった。そこからアジアの先祖信仰というテーマでシンポジウムをやりたいという話にもなった。柳田国男はかなり古代から先祖信仰があるようにとらえているが、アニミズム的な世界では先祖信仰はないというのが大方の説であり、その意味で、アニミズム的な日本の古代には先祖信仰はないのではないかという意見が多い。柳田の先祖信仰は中世を遡れないという批判もある。

 ところが、中国では古くから祖先を祭っており、またアニミズム信仰を持つ少数民族はけっこう先祖信仰を持っている。そう考えると、アジア的な視点から先祖信仰を捉えてみる試みはあってもいいのではないか。この話で少し盛り上がった。

 私は、この後新宿へ。新宿で、60年の学生運動や大正闘争の資料集の再刊記念パーティというのに顔を出した。80名近く集まっていたのではないか。60年安保の活動家から70安保の活動家、そして、最近の若い人たち(活動家ではないが、左翼運動に興味を持つ人たち)が集まっての飲み会である。

 上はもう70に近い年齢で、とにかく年齢の高い人ほど元気である。まあ同窓会もしくは戦友会みたいな集まりで、私も久しぶりに昔の仲間と会い酒を飲んだ。もう年金生活をしているものもいる。みんな歳を取ったものだ。この連中と私が一緒に夢中になって権力と戦っていたときは、私はまだ20歳だった。自分でいうのもなんだが、長髪のイケメンだった。今は見る影もないが。

 同じ大学の連中と退座し別の飲み屋に行き、昔のことなどいろいろと話をした。40年前のことだが、さすがに何人かで話すと鮮やかにいろんな場面が浮かんでくる。私の人生で一番緊張して生きた時代である。いろんな場面が簡単には落とせないほど脳裏に焼き付いているのである。
                          
 最近朝日新聞の夕刊の一面に、シリーズで、かつて学生運動に関わった連中が取り上げられているが、知りあいも出てきて、昔のことをよく知っているから、なんであいつが、という話にもなる。

 私たちには戻る時間がある。それは悪い事ではない。戻る時間がないことはある意味で不幸だと思うからだ。いつも前を向いて振り返らない生き方なんて、疲れるし、正常とは言えない。ただ、何事も限度が大事で、振り返りっぱなしというのも、本人はいいが周りが疲れる。でも、他者と一緒に振り返ることができる過去(必ずしも幸福な過去ではなく痛々しい過去であっても)があるのだからいいことではないか。

 最近の若者を見ているとそういう過去を持っていないと思われるものが多い。そういう過去をこれから作れるのだろうか。それが心配だ。

                          老兵たちは語る真夏の夜の夢

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