はらはらした…2009/07/05 01:42

 金曜は後援会の懇親会があり、来賓として出席。とりあえずわが学科のアピールをしておいた。ベネッセの調査で、今年わが学科の英語コースの一般入試で入った学生の偏差値が青短を抜いて首都圏の文系短大でトップにたった。たぶん初めてのことである。ただ、トップといっても、実態としては、推薦でかなりの人数を入れているので、その偏差値が学生の全体のレベルを表しているわけではない。が、それでも今まで青短を抜けなかったのだから、今年はやった!というところである。むろん、来年どうなるかわからない。

 今日は学会のシンポジウム。会場校なので設定などで出校。シンポジウムもけっこう面白かった。パネラーのお一人は去年ナシ族の調査に一緒に行ったH氏。もう一人は今売れっ子の文芸評論家であるA氏。トポスというテーマで、穴(洞窟)が取り上げられた。

 H氏はいつもながらたくさんの資料を出してきて、穴から湧き出る、水にかかわる遺跡や、洞窟に籠もって苦行する僧の話などを展開、勉強になったし、異界との境界である洞窟もしくは穴が、われわれの想像力の根底にある、というよりは、われわれの想像力の起源はそこから始まる、というようにさえ思えてくる。われわれの生誕と死の両側にある穴という境界のイメージは、宮都の設計にも反映するという。

 彼は歴史家だが、憶測で語る部分が多かった。何故なら、論じようとしていることが、実証し得る物的表象でなく文化表象そのものだからである。言い換えれば無意識に属する領域の表象に言及しようとしている。歴史家としてはかなり大胆であり、顰蹙を買うかも知れない。だが、無意識を排除した歴史などあり得るはずもなく、無意識の側の歴史を豊富な文献資料で外堀を埋めながら内堀は大胆に推測で語る語る彼の方法は、それなりに納得できるものである。

 A氏は、折口の研究家といってもいいが、古典の「宇津保物語」、折口の「死者の書」や中上健次の小説を題材に、やはり聖なるトポスというテーマで語った。ただ、内容は、物語論とも言うべきもので、「宇津保物語」以来、「源氏物語」「死者の書」、三島由紀夫や中上健次の作品、そして村上春樹の「1Q84」に至るまで、物語のある構造が貫かれている、そして、その構造は近代の物語批判に耐えて、逆に今は世界性すら持とうとしていると熱く語った。折口信夫の古代のイメージが構造化した物語性は、現代の想像力にとって重要であり、現代の閉塞状況を救済するかも知れないとまでのメッセージがあったように思う。

 面白かったのだが、興奮していて話が大きくなっていくので、やや醒めて聞いていた。結局、問題は無意識をどう描くか、ということなのかなと思う。私はかつて「日本説話小事典」(大修館)で「死者の書」について書いたことがある。そこで確か、歴史的時間の超え方を描いた小説だと解説した。むろん、昔話や神話のように超えてしまえば、それは現代の私たちの心を打たない。「死者の書」は、神が訪れる乙女の側に感情移入できるリアリズムを巧みに残しながら、混沌とした古代世界を再現することに成功している。この小説が心を打つのは、結局よくわからないからである。それはわからなくなる寸前のところで言葉が無意識を書きおおせている、ということである。分からない向こうに、無意識の豊穣な闇があることを感知させている。そのことが心を打つのである。

 A氏もたぶんそんなことを伝えたかったのだろうと思った。

 シンポジウムが終わり、懇親会となったが、久しぶりにシンポジウムに顔を出したK氏がパネラーのA氏の向かいの席になり、いきなりあなたの言う古代には違和感がある、と切り出した。隣にいた私は、これはやばいな、と思ったが、その通りになった。

 双方とも穏やかな口調ではあったが、なかなか辛辣なやり取りが始まり、たぶん昔みんなが血気盛んな頃だったら殴り合いまでいくだろうなあ、というような感じになってきた。すぐに昔の話になるが、昔は研究会などではこういうことはしょっちゅうで、K氏もそういうつもりであったようだが、A氏はかなり腹を立てたらしく、にこやかな表情を崩さずに、K氏をまったく認めずに軽蔑するような態度に終始した。その態度にも私はこれはまずいなと思った。相手は親ほどの年齢で人生の先輩なのだから、こういう時は、はいはいわかりました、そういう考え方もあるんですね、というくらいに聞いて受け流すのもあっていいはずで、それが度量というものだろう。

 周囲がちょっと緊張したが、何とか喧嘩というところまでは行かずに終わった。後から考えればこのやり取りは面白かった。というのは、どちらかというと、私より年上のK氏のほうがまるで若者のようにつっかかっていったからで(いつもそうなのだが)、それに対し、かなり年下のA氏は無知な学生を諭すような態度で応対した。A氏が横柄だとは思わなかったが、たぶん、年上のK氏が若者のように挑んできたことにA氏は驚いたのだろう。まともに取り合おうとしなかった。パネラーとして招待され、気持ちよく発表したその後の飲み会でいきなりこれでは、A氏も気の毒ではあったが、それだけ注目を浴びているということである。
  
 私はK氏と中国の調査などで一緒に行くことが多いが、K氏はおかしいと思うと相手が不快に思おうが思うまいが関係なく率直に口に出す。みるみる相手の顔がこわばっていくのを何度も体験した。その度にはらはらするのだが、こんな場所で体験するとは思わなかった。

     五月闇の向こう苦行の人あり

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://okanokabe.asablo.jp/blog/2009/07/05/4413285/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。