忙しい一日2009/04/12 00:59

 今日(11日)は実に忙しい日であった。まず古代の学会のシンポジウムが私の勤め先の学校で開かれた。この手配は私がした。看板を書き、案内状も書いた。また、同時刻に、これも私が代表を務める別の学会の大会案内や機関誌の発送作業があった。この準備の大部分もわたしがした。両方の作業を掛け持ちしながら飛び回っていたが、1時半から会議が入っていたので、会議にも出席。

 この会議は、学生の履修登録が終わり、全学の授業で受講人数が少ない僅少科目と言われる授業の一覧が出され、学部長や学科長が、その授業を閉講にするかどうか決めるという会議であった。原則として10人以下の授業は事情がない限り閉講にするという方針がある。が、10人以下であろうと、カリキュラムにある以上、開講すべきだという意見も当然出る。その授業が無くなると困る学生も当然いる。そういういろんな事情を勘案しながら、閉講にするしないの判断をする会議で、実に4時過ぎまでやっていた。シンポジウムにも出られず、発送作業もあまり手伝えずで、 私はへとへとに疲れた。閉講への圧力に抗する事が出来ず、結局二つの授業の閉講を認めざるを得なかった。

 発送作業が終わり、近くのイタメシ屋で飲み会となった。古代のシンポジウムをやっていた連中も同じイタメシ屋で飲み会をやっていて、飲み会の後に彼等と合流。久しぶりにけっこう遅くまで酒を飲んだり話をしていた。かなり久しぶりに会った人もいて、私を見てかなり老けたなあと驚かれた。よく会っている連中には、体は大丈夫か、いつ倒れるか心配だ、と本気に言われた。どうも、最近の私はそのように見えるらしい。自分でもそう思わないこともなかったが、人から言われるとやっぱりなあと納得。

 身体の手入れをして丈夫でいないと良い研究は出来ないが、身体を気にしていても良い研究は出来ない。夢中になれば身体のことなどどうでもよくなる。そういうものである。老けるということは、たぶんに身体のことなどどうでもいいくらいに何かに夢中になれなくなることで、今の私がそうだということだろう。悲しいことだが当たっていないこともない。

 が、今何かに夢中になって身体のことなどどうでもいいと言いだしたら、確実に私は倒れる。その意味でいえば、まだそういうものに出くわしていないのは幸いな事なのかもしれない。研究者としては幸いでないが。

 今年の機関誌『アジア民族文化研究8号』も分厚い。分厚くなるだけの活動をしてきた成果である。この学会発足から9年目になる。ささやかな集まりの学会ではあるが、それなりに成長してきた。途中でよく潰れなかった。ここまできたことに感謝である。

                         歩いても歩いても桜の樹がある