男は消滅する2009/01/19 01:29

 昨日今日とセンター試験。私は昨日がセンター試験の担当で仕事。毎年の事だがいつも緊張する。今年も1分早く終えたということで、再試験になったと新聞に出た。1分ずれただけで新聞に出る。受験生にしてみれば1分でも許せないというのはわかるが、新聞にまで出すほどの事件かよ!と言いたくはなる。とにかくほんの些細なミスでも大きな出来事のように扱うのがセンター試験なので、現場ではいつも大変である。

 昨日は仕事が終わってから夕方に南部線の加地駅の駅前にあるレストランに奥さんと行く。友人のOさんに、近くに引っ越してきたのだから来ないかと招待されたのである。そこは、地域のフリースクールや障害者のための店だったのだが、レストランをはじめたということで、Oさんがそこにかかわっていて、まあ物見遊山で出かけたのである。

 Oさんは兵庫の出石町出身で、親の介護で一年の半分は帰郷しているそうだが、最近、その出石の環境保全と観光に関わっていて、まったくいろんなことにかかわる人なのだが、その出石は、コウノトリの生息地で野生のコウノトリはもういなくて放鳥したコウノトリがいるそうなのだが、それで今環境に力を入れていて、そこで獲れたお米の銘柄に「コウノトリのお米」というのがあって、そのレストランでそのお米で炊いたおにぎりがふるまわれた。これがたいそうおいしかった。

 但馬の地酒「香住鶴」が出されたがこれもうまかった。実は、この地酒は成城学園駅前にある何とか三郎という名前の酒店で買えるものだそうで、その酒屋、いつも前を通っていたが入ったことはなかったのだが、今度行ってみることにした。

 世間にはどうやって暮らしているのかよく分からないがとにかく定職につかずお金にはならないようなことばかりを楽しそうにやって生きている人がいて、夏目漱石は高等遊民なんて呼んでいたが、Oさんもそういう人の一人である。人と知り合うことが好きな人で、実にいろんな人と知り合っている。私との付き合いも17、8年になる。最近は時々何年かぶりで会う程度だが、その都度いろんな人を紹介してもらうので、こちらもそれだけで楽しくなるのである。

 ワープロを打ちすぎたせいかまた首の頸椎が痛くなって、気分の悪くなる日々が続く。これも時々出る。

 18日、NHKの特番「男と女」シリーズ最終回。男は将来消滅するというなかなか刺激的な内容であった。男を決定づけるY染色体は、退化の過程にあって、このままだとどんなに遅くても五百万年後には消滅するという。つまり、生物学的な男はいなくなる。が、その前にジェンダーとしての男などとっくにいなくなるだろうと思うが。

 男がいなくなると子どもは生まれなくなるということだが、生殖技術の発達はそれを簡単に乗り越えるだろう。クローン技術だってある。

 橋爪大三郎の「現代思想は今何を考えればいいのか」という本を以前よんだことがあって、そこに出産革命を通して未来が見えてくるというのがあって「無出産社会へ」という章がある。そこに、人工子宮で子どもを生めば女性は出産から解放されるとある。それが無理なら豚の子宮は人間に近いから豚の子宮を使って人間の子どもを代理出産させればいいと真面目に書いている。そうやってやがて無出産社会が到来し、人間そのものが変革していくと言う。

 出産を人間という存在にとっての負担だとみなす思想があれば、こういう発想は当然出てくるだろう。だが、生物学的にも無出産社会が到来とするというのがNHKの番組のテーマで、さすがにこれには驚いた。人間という概念自体、それほどの確実性も根拠もないということだが、それでも、死が確実であるからこそ生があって、そこに悲喜こもごもの生き方が成立するように、出産という確実さがあるから、生きていることも喜怒哀楽もまたある、ということではないか。そういう確実さに支えられて私たちの基本的な概念はあるのだが、その確実さを五百万年単位で疑って、今の私たちの確実さを根拠無きものにするのは行き過ぎだろう。

 だが、生殖科学の発達は、ひょっとすると生きるとか死ぬという私たちの確実さを根底からひっくり返しかねない。原爆がこの世の生と死を全部リセットする力を持つようにである。行き過ぎてしまうのもまた人間であるとすれば、人間というのはまったく扱いにくい存在である。

                     そろそろと日脚伸ぶごと生きている