紅白を見る2009/01/01 01:25

 いつも年越しは、茅野の柏原村のお寺で除夜の鐘をつくというのが決まりになっていた。小さなお寺だが村の人たちと一緒に焚き火にあたって除夜の鐘をつき、厄除けのお札をもらって帰るのである。

 ところが、今度の年越しは、東京の家でということになった。実家(宇都宮)の母親が入院したため大晦日に急遽見舞いに行くことになったためである。茅野から佐久へ出て高速で藤岡ジャンクションを高崎方面に曲がり北関東自動車道に出る。太田・桐生インターを降り、50号線で佐野まで。そこで東北自動車道に入り宇都宮というコースで、正味3時間半で着いた。北関東自動車道がかなり出来上がっていたせいかかなり早かった。

 母はもう八十を過ぎているので心配だったが、思ったより元気でしっかりしていたので一安心。夕方には宇都宮から東京の自宅へ戻る、という一日であった。

 思いがけず東京で大晦日を過ごすことになった。明日の正月はまた茅野の山小屋へ戻る予定。仕事の資料とかは全部山小屋に置いてあるので戻らないと仕事が出来ないのである。

 昨日から基礎ゼミのテキストを書き始める。授業の受け方とノートの取り方まで進む。正月休みのうちに書き上げなくては。

 E君からアジア民族文化研究の原稿の催促が来ていた。春の大会で私が発表した彝族の祭祀についての報告を私が書く予定になっている。ちょっとまて、この報告はアジア民族研究には書かないという前提で発表をしたのだが、それをE君にきちんと伝えていなかったようだ。いずれにしろ、秋のシンポジウムと夏のワ族神話調査の報告は書かなきゃいけないのだが。

 紅白歌合戦を炬燵に入りながら何となく見ていたのだが、これも初詣と同じで年中行事の祭りのようになっているのがおかしい。今までは他局が視聴率を少しは稼ごうと紅白にいろんな企画をぶつけてきたものだが、今年はほぼあきらめたようで裏番組は見る気のしないものばかりである。国民的年中行事になってしまうとかなわないということだ。

 姜尚中が審査員で出ていて、崖の上のポニョの歌にあわせてあの人形を振っていた時は笑ったが、仕事にあぶれた人も紅白の歌で元気になって欲しいというコメントはいただけなかった。しかしよくもこの暗い政治学者を紅白の審査員に選んだものだとNHKに感心した。

 紅白を見ていて日本の演歌はなかなか滅びないものだといつも感心する。「おふくろさん」を歌った森新一はほとんど絶叫のような歌い方だったが、この歌を歌えてよかったと万感胸にせまる思いだったのか。こんなに力を入れすぎるとかえって歌は届かなくなるのではないかと思うのだが。森新一は歌の前の口上で「歌の力」という言葉を口にした。

 演歌が滅びないのは「歌の力」なのかもしれない。ただ森新一にかつてのような歌の力があるとは思えない。白組のトリは氷川きよしだったが、初めてのトリで感動して泣いていた。歌い終わって今までトリを歌っていた大物演歌歌手が祝福に来ていたが、内心、時代の流れというものを感じていたはずだ。

 氷川きよしには演歌歌手につきものの情念をこぶしにのせてうなる、というところがない。実に軽やかに華やかにこぶしをきかせる。そこが受けているのだろう。大物演歌歌手にはない花がある。

 「情念」をいかにもという感じで伝える演歌の手法では「歌の力」は成立しないということだろう。ジェロの「海雪」もいかにもという演歌だが、黒人が歌うことで逆にそのいかにもらしさが新鮮に見える。歌における「情念」は力を失ったわけではない。ただ、そのいかにも的な伝え方が力を失っただけだということだ。

 森山直太朗の「生きてることが辛いなら」の「生きてることが辛いなら、いっそ小さく死ねばよい」という言葉は物議を醸した詩だったということを知ったが、聞いてみるとそんなに悪い詩ではない。どうせみんな死ぬんだからと続くのだが、逆説的に語っているんだろうとは思う。だが、素直に、辛いんだったら死んだら、というのもありだ。

 一年を通して歌番組を真面目にみるのは紅白だけである。こうやってあれこれ言いたいことを言って見るのも楽しいものである。

                        大晦日親の齢(よわい)を数えけり