社会主義的2008/12/17 01:21

 私の学科の来年度採用人事が今日決まり一安心。ニュースでは毎日失業の話ばかりで暗い気分になるが、ほんのささやかでも職を得られる人の手伝いが出来たことは嬉しいことである。職場が危なくなってこの逆が起きないことを祈るばかりである。

 自由主義市場経済が曲がり角に来ていることは誰の目にも明らかだろう。民主党の出した緊急雇用経済対策に自民党が、これじゃ社会主義だと反発している。が、アメリカのオバマがやろうとしていることはもっと大胆な税金を投入した福祉や企業への支援策だから、その論法でいけば今やアメリカの方が社会主義である。

 例えばアメリカもヨーロッパも自動車会社に資金援助をするが、していないのは日本だけである。だから、日本も資金援助しろとゴーン社長が主張していると今日のニュースが伝えている。つまり、自由な資本主義経済の本家の方が、社会主義的な政策、つまり自由主義市場経済に逆行する政策を行っているということである。

 国家の役割は、国民の生活を成り立たせるために冨の分配を差配することである。それが出来なければ国家ではない。不況下では、冨の分配は強者に偏るから国家は弱者に流れるように差配しなければならない。それが、雇用対策であり減税であり、生活保護である。これを社会主義的といって批判するのは、基本的にわれわれの社会の原理がわかっていないということである。社会の基本原理とは、人類が社会を生み出した時以来、社会の構成員を飢え死にさせない仕組みを作ることであって、その原理は、何々主義であろうと変わるものではない。

 ひどい天災が起こってどんなに頑張っても飢え死にしてしまうというのと違って、経済不況は、何とか冨の分配をコントロールすれば飢え死には防げる。それをするのが政治の役割であるとすれば、日本の政治はそのように機能していない、というべきか。

 かつて吉本隆明は、資本主義は社会主義に近づいていかざるを得ない、と語っていた。社会主義になるとは言っていないが、社会主義的なセーフティネットを作った上で、競争原理による市場経済を機能させる、ということであろう。今、ほとんどの経済学者が言っていることである。

 飢え死にしない安心の上で資本主義的競争が成り立つ、というのは、人類が生み出した社会の基本原理に基づく、資本主義ということであろう。飢え死にするものをださないために、人類はいろんな社会システムを考えてきた。いつも上手くいったわけではないが、その原理は不変であるはずである。

 その意味で、飢え死にしそうな人たちを助けようとすると、社会主義的だとイデオロギー批判にすり替え、その原理に基づく義務を放棄するのは、情けない限りである。

 そういえばこの間の忘年会で、文芸評論家のSと会ったが、彼は今吉本バブルだと言っていた。確かに吉本の本が大きな活字本でたくさん出ている。みな年寄りが買っているのだろうか。時々私も気になって買ったりする。たいしたこと言ってるわけではないんだが、つい本を買うのは、充分に教組であるということだろうか。  

                         枯野行く富者と貧者の違いなく

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