古稀を祝う会2008/12/08 00:32

 昨日の土曜は、午前中歯医者。午後は学会の例会。私の勤め先で行うので、早めに行って雑務をこなし、そして例会に参加。E君の葬式の哭歌の発表である。彝族の葬式の記録を取っていて、それをベースに葬式における女の哭歌と男の指路経の分業について論じていた。その分業というのがなかなか面白かった。ただ、それを日本の葬歌の分析に持って行く手法はやや強引かなと感じた。これは、中国や少数民族の資料をモデルにして日本古代の表現分析を行うときに必ず問題になることで、比較ということの難しさでもある。

 が、大事なのは、彝族の哭歌や指路経の分析であって、この分析を通して葬儀における歌の役割というものがある普遍性を持って抽出できれば、比較はそれほど難しいものではない。その普遍化の未熟なうちにあせって比較するとたいてい強引になる。自戒せねばと思う。

 例会が終わって神保町のイタメシ屋で飲み会。私は適度に切り上げ、新宿に。今度は私の昔からの友人たちとの忘年会。ただし、これも簡単に切り上げて帰る。体調がよくないので酒がのめないし、疲れたくないので早めに帰る。付き合いが悪くなったなと自分でも思う。昔はこういう飲み会はたいてい最後までつきあったものだが。

 今日は、K先生の古稀のお祝いの会。渋谷の東急エクセルで行われる。160人が集まる。盛況な会である。最近葬式でしかあうことのない人たちと会う。こういう場で会うのは楽しくていいね、と皆で頷く。私も執筆者に名を連ねているが古稀記念論集である『修辞論』(おうふう)が出版され、皆に配られた。

 帰り渋谷東急ビル内の銀座ライオンで軽くビールを飲んで研究者仲間と歓談。みな私より年上の人たちである。従ってみな会社なら定年か、間近の連中で、定年退職組で研究会を作らないかという話で盛り上がる。シニア研究会とでも言うべきか。結構意気盛んであった。私はまだ当分現役なので、参加は当面なさそうであるが。

 帰って、夜には、歌誌に頼まれた原稿を書き始める。最近癌で亡くなられた歌人についての原稿である。四枚ほど書いたところでダウン。明日には何とか書けそうだ。

              生き残った者らは酒を飲む師走