アジアの歌の音数律2008/10/07 23:48

 今日の会議はすごかった。朝の10時半から始まって、終わったのが7時。6つの会議に出た。1日の会議としてはたぶん新記録だ。

 実は朝4時頃チビが寝ぼけたのか突然私の寝床に潜り込んできた。それで抱きかかえてチビを自分の寝床に戻したのだが、それからいろいろ考え事が頭の中を廻って眠れなくなってしまった。お蔭で睡眠不足。それなのに会議の連続で、夕方私は意識を失わないようにするので精一杯であった。

 これだけ会議が続くといったい今日は何を聞いたのかほとんど頭に残っていない。まあ半分は儀式みたいな会議だからそれでいいのだけど。

 アジア民族文化学会の2008年秋の大会の案内を送ったのだが、出欠の返送ハガキに、2007年とあるが2008年の間違いですねと書いてあった。いかん、またやってしまった。急いでい仕事をすると時々こういうポカをやる。去年の原稿を手直しして使うものだから2007年を直すのを忘れてしまった。でも、1年前の2007年に行う案内が来ているとは思わないだろうし2008の間違いだと気付いてくれるだろう。他の文章にはきちんと2008と入っている。そうやって自分をなぐさめた。

 今度の大会は10月25日である。アジアの歌の音数律の第二弾である。出来ればこのテーマで本を出したいと思っている。音数律という視点からアジアを眺めてみようという面白い企画である。日本の和歌は5・7音の音数律だが、この5・7音はアジアの少数民族に割合共通する。それが何故なのか、そもそも歌にとって音数律とは何なのか、ということを解き明かしたい。

 歌と言っても、声のレベルの歌から文字を読むというレベルの歌までいろいろある。あるいは短い歌の長い歌ではまた違う。そういう違いを前提にしながら、音数律とは何か、アジアにとっての音数律とは何か、といったことが見えてくれば相当面白いだろう。

 今日家に帰ったら、日本人3人がノーベル物理学賞を受賞したとのニュースでお祭り騒ぎであった。素粒子理論の開拓者3人にノーベル賞が贈られたということだ。

 テレビのキャスターが、素粒子理論は私たちの生活にどんな意味があるのですか、と解説者に真面目に聞いていた。確かに、聞いてみたくなる気持ちはわかる。これは、アジアの歌の音数律が私たちの生活とどうかかわるのかという質問と同じである。解説者は、素粒子理論は文学ですと答えていた。なるほどそういう答え方があるのか。でもアジアの歌の音数律は文学じゃ当たり前すぎる。

 世の中に役に立たない知識なんてない。ただそれが何時どのように役に立つのか説明できる知識なんてほんの一握りなんだ、とここでは答えておこう。

                     嗚呼秋の雨に打たれてるニュースよ

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