二足歩行は美しい2008/07/30 00:07

 ここのとろ訃報が相次ぐ。私の属する歌の会の知りあいが癌で亡くなったとの知らせ。今日がお通夜である。闘病中とは聞いていたが。残念である。私の短歌評論などを載せて頂いていた歌誌の発行でお世話になっていた。

 入谷のお寺で通夜。住職は亡くなられた歌人Kさんの早稲田の同級生でもある歌人F氏。一時間近い読経を唱えていた。隣の人がお経の本を開いていたので読経の内容が時々わかる。お経の訓読文を唱えている。だから死者に語りかけているように聞こえる。考えてみるとお経とはそういうものだが、今回改めてお経というものを身近に感じた。

 通夜の後の精進落としの席でF氏からいきなり乾杯の音頭をやれと言われとまどう。さすがにこういう場で乾杯はないので故人に献杯という形で乾杯をした。冷や汗ものであった。久しぶりに歌会の人達と会う。葬儀というのはいつも懐かしい人と会うところだ。

 帰りに成城学園の駅で突然の雷雨。あわててバスに乗り込んだがバス停で降りたら道路が水没するほどの雨である。すぐに止んだがそれにしても凄い雨である。

 昨日(28日)テレビで見た、南米のフサオマキザルなかなか優れものだ。自分の体重ほどもある丸石を探してきて椰子の実をたたき割る。石を探すところからすでに知恵が必要だ。椰子の実を置く場所も選ばなくてはならない。少しくぼんだところで固定できた方がいい。石を持ち上げ振り下ろすのにも技術が必要だ。未熟な若いサルはなかなか割れない。熟練したサルは腰を入れて体重を石にのせて真っ直ぐに椰子の実の上に落とす。ただ落とすだけだと固い椰子の実は割れないし当たり所が悪くどっこへすっとんでしまう。熟練したサルの石を持って振り下ろす姿が美しい。

 NHKの番組だが、このフサオマキザルはなかなか感動的であった。石を持って歩き、それ振り下ろす動作は、背筋をS字に伸ばし、大腿筋を鍛える。つまり、人間の立ち姿に似てくる。研究者は人間が二足歩行のできるようになった理由に、このフサオマキザルの椰子の実割りの所作がヒントになると考えているらしい。私が感動したのは、重たい石をバランスよく体重をのせて振り下ろすその無駄のない姿勢が実に美しく見えたことにある。

 私たち人間は四足歩行の動物より二足歩行の人間に美を感じるように出来ている。その根拠など考えたこともないが、その根拠らしきものを発見した気がした。背筋の曲がった老人より背筋の真っ直ぐな若い人が美しいのは、重たい石を無駄のない動きで振り下ろせるからなのである。 

 この動作をつづければやがてフサオマキザルは二足歩行するのではないかと研究者は考えている。だが、二足歩行をした人間はいつも重たい石を持ち上げて振り下ろさなければならなくなったとも言える。それが出来なければ背中が丸くなり美しくはなくなる。が、その姿勢はとても楽である。一方美しく感じる姿勢は疲れるのだ。人間はその姿勢にすらパラドックスを抱えているのだ。

          炎天に二足歩行のものどもら

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