絶叫コンサート2008/07/07 01:58

 土曜は学会のシンポジウム。パネラーは古事記研究者のMさんとファンタジー作家の荻原規子さん。Mさんは230部の資料を送ってきた。まさかと思っていたが、200人の参加者でさすがに驚いた。荻原さんの人気はすごいものだと改めて認識。

 ほとんど全国からやって来ている。そしてほとんどが若い女性で、最初私は私の大学の学生かと思ったが、確かに何人かはいたようだが、ほとんどは学外者である。荻原氏のブログなどの情報でここでのシンポジウムを知ったようだ。

 シンポジウムはこちらの思惑通りというか、面白いものになった。Mさんは口語訳の古事記で有名だが、ある意味では創作でもあると語っていた。神話をベースにした創作について、荻原さんは、面白くしようと思うと書けない。自分が面白いと思うこと、つまり、無意識にわき上がってくるようなことなのだろうが、そういう衝動が大事であるようなことを語っていた。

 神話的なファンタジーという設定の中で(たぶん無意識から)わき上がる何か、という言い方は面白い。こういう物語的な面白さは、たぶんにわれわれの深層に構造化されているということだ。その深層に憑依する力が作家の力ということになるのだろう。このシンポジウムのシリーズの最初は私が担当したが、私は、笙野頼子を扱った。笙野頼子は、まさに、自分の無意識に憑依しようと、病的なほどに執着した作家である。そのうち無意識に憑依するという設定の面白さに目覚め、自分は憑依そのものなのだというような物語を紡ぎ始めてしまった。

 荻野ファンと笙野ファンは重ならないだろうな、などと思いながらシンポジウムを聞いていた。ちなみに私は笙野ファンである。

 今日、午前中、昨日の納骨に行けなかったので癌で死んだI君の墓参りに行く。多磨霊霊園なので車で40分で着く。割合近い。とにかく暑かった。

 夕方、私と一緒にシンポジウムをやったS君と一緒に、福島泰樹の短歌絶叫コンサートに行く。渋谷のライブハウスである。S君が一度福島泰樹のコンサートを見たいというので、声をかけた。小さなライブハウスであった。私は久しぶりだが、なかなか良かった。

 S君は授業でギターを持ち込み、学生の心の鬱屈した思いをブルースをして歌ったりしている人気講師で、今あちこちで引っ張りだこである。福島泰樹の絶叫コンサートには感激していたようだ。特に今日、寺山修司没後25周年ということで、青森から故郷を棄てるように出てくる寺山の詩が何度も朗読され、S君は感慨に浸っていた。S君の故郷は青森なのである。コンサートが終わって二人で食事。歌卯という行為による表現で何か出来ないかと話が弾む。忙しかったが、楽しい日曜日であった。

夏雲や逝きし友の墓参り