『短歌の友人』2008/07/05 01:01

 いやー暑い。今日は暑かった。明日の準備のために出校したが、さすがにこの暑さでは、駅まで歩く気がしなかった。行きは丁度奥さんの友達が家に来るというので車で駅まで迎えに行くのに同乗。帰りはバスである。

 昨日の晩から、短歌時評の原稿を書き始める。何とか今日書き終える。穂村弘『短歌の友人』についての文章である。この本に紹介されている現代の若い歌人達の歌は、けっこう面白い。

たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔 飯田有子
電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、と言って言って言ってよ   東 直子
ちからなくさしだす舌でだらしないのがみたいんです今みたいんです  今橋 愛
黒色の落書きは叫ぶ わたしを消してわたしを消してわたしを消して  早坂 類
   
どうですすごいでしょう。穂村弘はこれを「棒だちのうた」と呼んでいる。歌らしい修飾を武装解除して息苦しい生を生き延びるために歌う歌だということである。
 
 こういう歌は簡単には批評できない。批評する姿勢の前に、カウンセラーのような姿勢になってしまうからだ。だから、こういう歌に対する時は臨床的になる。それで、私の短歌時評のタイトルは「臨床批評」と名付けた。

心に病を持った人のカウンセラーをするときに、次のようなことを守らなくてはいけないということだ。
・相手に多く語らせてその話をじっくりと聞く。
・相手を問い詰めたり否定したりしない。
・解決を求めない。
 
 臨床批評は、たぶんこのような態度で対することになるのだろうか。それはすでに批評ではないが、でも、そう対せざるを得ないほどに、いろんな意味で、現代の心は疲弊している。穂村弘の本を読んでそういうことがよくわかった。

           青葡萄熟すことを拒みけり