Jホラーの文化論2008/04/24 22:55

 NHKハイビジョンで8時から2時間番組で、Jホラーの特集をやっていた。思わず2時間見てしまった。ホラー映画の特集かと思ったらそうではなく、Jホラーの恐怖の背後には、異界と共存する日本の伝統文化があるという設定で、呪いや怨霊や怪談の歴史を描いていく。ちょっとした教養番組になっていた。

 小松和彦も京極夏彦も、そして京都に行ってしまったS君も安倍晴明のコメンテーターとして登場。ひょっとして出で来るかなと思って見てたら案の定登場。昨日今日と知りあいがテレビに登場する。みなさん活躍しているということでいいことである。 

 異界論は私の最近の興味の範囲で、授業でも異界論を扱っている。だが、私はJホラーは好きではない。恐い話は研究対象として聞くのは好きだが、怖がることを前提に聞くのは嫌いなのである。だからああいう映画は観ない。

 日本の怪談の特徴は、説明がないところだという解説があった。アメリカのホラーはかならず最後に解き明かしがある。日本のにはないというのである。怨霊にはそれなりの因果関係はある。が、お化けとなるとなんだか分からないが突然出てくる。日本の幽霊は怨霊とお化けが交じったようなところがあるから、すっきりと説明づけるのは難しいのかも知れない。

 見ていて感じたのは、日本のホラーはやはり「情」なのだということである。その意味で歌の世界とつながる。怨霊とは、過剰な情の行き着いた一つの姿であろう。日本には、誰にも受け止められず暴走する情を、きちんと受け止める文化があった。恐怖と哀れさのない交ぜになった情でそれを受け止めるのだ。日本の怨霊も幽霊も、恐怖の対象でありながら同時に哀れの対象であることは注目していいことだ。 

 和歌は自分の中の暴走しかねない情を鎮め受け止める言語文化であるが、そういう意味でつながるところがあるだろう。

 ちなみに私は、知りあいの歌人のゲストとしてNHKのテレビに登場したことがある。もうだいぶ前のことだ。そこで癌にかかっているナナ(犬)のことを歌った歌を披露した。ゲストは必ず歌を歌えと言われたからである。確か
        陽光は沙羅の若葉を貫いて病の犬に届いていたり
という歌だった。何とか苦心してそれらしく読んだのだが、歌を作るのは難しいと今でも思う。

           春の夜のあの世が誘うものたちよ