カーリング世代2008/04/12 02:03

 昨日から授業が始まる。私の授業は昨日が最初。受講人数はどちらかと言えば少ない。原因はいろいろあるが、一年生が少ないのは、たぶん、他の必修と重なっているためだろう。あと、シラバスの書き方にも原因があるからかも知れない。

 最近、忙しくて大人数の授業をやる気力がない。あまりいいことではないが、少なければ、じっくりと話ができそうな気もする。ただ、後期は教養教育の授業がある。こっちは多いかも知れない。

 私は学科長として、9名以下の受講人数の科目を、開くのか開かないのか判断をしなくてはならない立場である。経営側は受講人数の少ない授業は閉講にしろ、と直接にいうわけではないが、圧力はかけてきている。かといって、その授業が閉講になれば、教員はその分のコマを失うわけで、非常勤の先生は即生活問題になる。そういう判断をしなくてはならないというのは、全く嫌な仕事である。

 受講人数が少ないのは、時間割の組み方の問題で、教員の責任でない場合もある。あるいは、学生数が少ないのに科目をたくさん用意したりすると起こることである。あまりに少ないのはやむを得ないにしても、だいたいは開く方向で判断している。ただ、来年からはそうならないように対策を立てなければならない。それがなかなかやっかいである。

 今日は、アジア民族文化学会の春の大会の案内を発送する作業。E君、K氏、大学院生が手伝いに来てくれたが、今日一日で終わらなかった。また月曜日に発送である。とても疲れる。

 E君は40代前半で、今年の四月から女子大の専任になったのだが、他の教員から君たちの世代はカーリング世代だといわれたそうである。どういう意味かというと、カーリングでは、滑らした丸い石の周りをみんなで箒でこすって滑りやすくしてやらないと石はすぐに止まってしまう。つまり、周囲が助けてやらないと何も出来ないだめな世代だと言うことらしい。なかなか言い得て妙である。E君もそういうところは確かにある。私が何度周りを箒で掃いてあげたことか。でも、そうやって、周囲に助けさせるのも才能である。ある意味では羨ましい世代である。

 帰って、明日の準備。明日は古代の学会のシンポジウムで発表である。まだ準備が出来ていない。が、そうは言ってられない。睡眠時間を削るしかない。ということで、もうやけくそでこれを書いています。

           春の夜夢を見ている犬を撫で